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2011年08月09日23:47

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ファドの女王

アマリア・ロドリゲス(Amalia Rodrigues)という歌手をご存じだろうか。
名前は聞いたことがある、という人は多いのではないだろうか。
ファドの女王と言われる名歌手である。

ファドとはポルトガルの民俗歌曲のようなものである。フランスでいえばシャンソン、イタリアでいえばカンツォーネということになるだろうか。
ファドには運命・宿命といったような意味があり、その名の通り暗く悲しい歌が多い。
もともとは19世紀の裏街の酒場や娼家で広まったものらしい。植民地時代が終わり、没落の一途を辿る暗い世相を反映していたとも言えるのだろう。

そのファドを世界に知らしめたのがアマリア・ロドリゲス(1920〜1999)である。

ファドは女性が歌うことが多い。
そして伴奏はギターラ(ポルトガル・ギター)とヴィオラ(クラシック・ギター)というのが基本のようだ。ポルトガル・ギターというのは洋梨のような形をした小型の十二弦ギターである。
ちなみにファドを歌う歌手のことを男女の別なくファディスタと呼ぶ。

さて、そのアマリア・ロドリゲスのオリジナル・アルバムを録音年代順にリリースするというプロジェクトが始動した。
最近まで名声は耳にするがオリジナル・アルバムは入手しにくいという事態が続いていたので、これはとても喜ばしいことである。第1弾として3枚の予定だったが、『アビー・ロード 1952』と『ブスト』の2枚がリリースされた(もう1枚は一週遅れになるらしい)。
『アビー・ロード 1952』は後にビートルズで有名になるロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音されたものを集めたアルバム。後々まで歌い続けることになる曲がたくさん含まれているのだが、録音のせいか声が割れてしまうのが残念。対して『ブスト』はアルバムということを意識して作られた1962年録音のもの。これは素晴らしい。彼女の素晴らしい声を聴くならばこちらをお薦めしたい。

しかし、唯一無二の声だ。
ポピュラー/ロック、ソウル、そうしたシンガーには聴くことのできない声だ。もちろんクラシックの声楽系とも異なる。独特の発声法なのだろうか。
悲しみを振り絞るかのような声、声そのものが悲しみのようである。

ずいぶん久しぶりに聴いたが、本当に素晴らしい。

私がアマリア・ロドリゲスを知ったのはかなり前のことになる。
まだ実家にいた頃、中学生だったか、高校生になりたてくらいだったか、いずれにせよ十代半ばくらいのことである。
押入れを整理しているときにレコードを見つけた。見たことのないレコードだった。
それがアマリア・ロドリゲスだったのだ。
親父のものだった。
意外な気がした。音楽というと懐メロくらいにしか興味がないものだと思っていたのだが、そんな趣味があったとは…。そして、言葉少なにアマリアとファドについて語ってくれた。
実際にそのレコードを聴いてぶっ飛んだ。
衝撃的だったと言ってもいい。言葉などわからなくても伝わってくるものがビンビンあったのだ。
しばらく夢中になって聴いていたものである。

その何年か後に再びアマリアの名前を聞くようになった。
シンガーソングライターの久保田早紀が『異邦人』でヒットを飛ばした頃である。影響を受けた音楽としてファドとアマリアの名を挙げていたのだ。

ポルトガルに行ってみたいと思う。
地理的にもポルトガルはヨーロッパでいちばん遠い国という気がする。
それでもポルトガル料理なんかはどことなく日本料理に近いような印象だ。魚介類を多用し、あまりこってりした味付けをせず、素材の味を引き出すところなど、共通したものがあると思う。ニンニクやスパイスをあまり使わず、洋風なのに和を思わせる味付けはなんだか馴染み深いものがあった。
名物のバカリャウという鱈の干物があるが、干物と聞いただけでなんとなく嬉しくなる。
それにポルトガル語で日本語化したものも多い。もとの意味から変わってしまったものもあるようだが、カステラ、シャボン、カルタ、ビードロ、ビロード、キャラメル、ブランコ、コンペイトウ、チャルメラ、コップ、パン、といったところがもともとはポルトガル語だった。京都の先斗町のポントもポルトガル語だったような気がする。

ポルトガル、遠くて近い国なのかもしれない。
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