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2009年10月13日23:05

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ボッケリーニにはまった。。。

クラシック・ネタばかりで恐縮だが、どうもそういう流れらしい。。。

最近ボッケリーニに凝っている。
アウラがいけないのだ。『トッカータとフーガ ニ短調』にスターバト・マーテルの歌詞を引用するから…。
スターバト・マーテル好きに火が付いてしまったのだ。

先日ペルゴレージの『スターバト・マーテル』について書いた。これは最も有名なスターバト・マーテルと言えるだろう。対して秘曲とも言えるのがボッケリーニ版。これもまた素晴らしくいい曲なのだ。

ボッケリーニはハイドンと同世代。しかし、ハイドンのように理論的に曲を組み立てていくのではなく、情緒的に曲を作っていく。したがって美旋律が多いのだ。
たぶんボッケリーニがあまり注目されないのは日本での音楽の捉え方にあるのだと思う。日本ではどうしてもドイツ・オーストリア系の音楽が重要視されがちである。古典派〜前期ロマン派〜後期ロマン派という音楽史の捉え方は独墺系ではしっくりくるが、フランスに当て嵌めようとすると違和感がある。バッハ〜ベートーヴェン〜ブラームスというのが主流で、なんて考え方は取っ払ってしまった方がいい。
ボッケリーニはイタリア生まれで、後年はスペインで活躍した。それゆえ軽んじられている部分もあるだろうし、ハイドンらと活動場所がかぶらなかったということで影響を受けなくて済んだとも言えるだろう。
もちろんハイドンも素晴らしいが、ボッケリーニも素晴らしい。

自身がチェロの名手だったこともあって、チェロを補強した弦楽五重奏曲に名品が多い。
不思議な作曲家だ。後のロマン派の曲のようにも聴こえる。イタリア伝統のカンタービレの作曲家と言えるのかもしれない。美旋律愛好家にはたまらないのではないかと思う。

さて、そのボッケリーニの『スターバト・マーテル』だが、最近は1781年の原典版で演奏されることが多いようだ。ちなみに1800年の改訂版はソプラノとアルトとテノールに弦楽合奏という編成。これで聴くと「うん、いい曲だな」という感想。ところがソプラノ独唱と弦楽五重奏という原典版だと「素晴らしい!」となる。六重奏曲と言ってもいいくらい、声と器楽が一体している。繊細で抒情的に綴られる哀しみに胸を打たれる。
ヴァイオン奏者キアラ・バンキーニ率いるアンサンブル415とアグネス・メロン(ソプラノ)による盤が気に入っている(写真左)。と思ったら、アンサンブル415は来年3月に日本に来るという。しかもボッケリーニの『スターバト・マーテル』をやるらしい。これは行くべきだ。ということで王子ホールの先行予約。。。

また、ラ・マニフィカ・コムニタ(La Magnifica Comunita)というユニットが弦楽五重奏曲を作品番号順に録音を進めている。現在第7集までリリース。
写真右はその第2集。作品11の6曲が収められていて『ボッケリーニのメヌエット』として有名な曲が含まれている(作品11−5の第3楽章)。
どの曲もメロディアスないい曲だ。聴いていると落ち着く。必ずしも短調の曲が多いわけではないが、切ないメロディーがたくさん。

そもそも、弦楽五重奏曲という曲自体が少ない。弦楽四重奏(ヴァイオリン2+ヴィオラ+チェロ)に1本加わっただけで音量や音高のバランスが取りにくく、書法が難しいからだと言われている。
ヴィオラを加えたものが多数派のようだ。モーツァルト、ブラームス、メンデルスゾーン、ブルックナーなど、今日名曲として知られるものはこの編成。チェロを加えたものではシューベルトくらいか。
チェロを加えた編成で100曲以上も作ったボッケリーニは、編成面でも弦楽五重奏の曲数でも特異な作曲家だったと言える。さすがに得意とした分野なだけあって5声のバランスが絶妙だ。低音が強化されることで、優美なメロディーが生きるし、チェロのヴィルトゥオーゾ的な扱いも可能となった。というより、そうしたいがためにチェロを増強したのだろう。
ボッケリーニの音楽は激しさはないけれど、優美で切なくしなやかだ。ロマン派を先取りしていたように思えてしまう。
その作風からボッケリーニ「ハイドン夫人」と呼ばれることもあるらしい。失礼な話だ。
そういえばヘンデルの「音楽の母」も失礼な話だと思う。子どもの頃てっきりヘンデルは女性だとばかり思ってしまったじゃないか。しかも鬘だし。。。バッハに比べると優しそうな顔してたし。。。

ま、ペルゴレージにしろ、ボッケリーニにしろ、バロックから古典派の狭間の時代の音楽はなかなかおもしろいようだ。
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