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2007年09月17日09:30

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旅行記(3:稚内モシリパYH<1>)

今回から、ハードディスクの片隅に残る過去の旅行計画の紹介
…の予定で友人宛てに出した過去のメールを探してみたが、旅行記が残っていない。
その時期のメールに残っていたのは、菅野美穂のヌード写真集についての長話だけである(泣)
そのため書き下ろしとなります。

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それまでの旅行は、移動してはビジネスホテルに泊まるという感じで進めていて、
(旅行代理店にてホテルプラン,ビジネスプランを利用の場合もあり)
今のようにYH,とほ宿泊まりペースではなかった。
そのため、旅行にはいつもビジネスホテルガイドを必携していた。

1997年8月のお盆休暇旅行での、稚内での出来毎である。
稚内では宗谷岬を見た後、一泊するためにビジネスホテルに泊まろうと思っていたが、
どこも満室である。飛び込みもダメになってしまった。
仕方なく北海道時刻表の後ろの方の頁に乗っていた、
「北海道内ユース・ホステル一覧表」を頼りにモシリパYHに電話をして泊まれたので泊まっただけである。
ユースホステル自体は、初めてなので、
「泊まれるならば、相部屋でも、皿洗いでも、自己紹介のミーティングでも何でもしますよ」
とある意味卑屈な考えであった。(踊って歌うミーティング時代の事は一応知っていたので)

◎初日
「踊り狂うミーティング」というのは過去のものだという話を聞いて安心した。
(相部屋という事を除けば、普通の宿ではないかという安心感を得た)
但しティータイムのミーティングというものあり、観光案内が始まった。
宗谷丘陵を巡る"サイクルラインPart��"という企画があり、一日自転車を乗り回すのだという。
元々自転車好きであるため、その企画(ツアー)に参加してみようと、その場で思い立ってしまった。
初YHでありながら、何となく連泊が決まってしまった。

そのミーティングの席で、
「明日礼文島に渡って8時間コースというものをしに行く」という人の話を聞いた。
話によれば、島の中を30km位を8時間かけて歩くらしい。
この一言が、後々自分の人生を大きく変えていく(桃岩に堕ちていく)事に、
その時は知る由もなかった。

◎二日目
サイクルラインPart�兇離魁璽垢和腓泙�に書くと、以下の通りである。
 YH〜オロロンライン〜抜海&抜海駅〜勇知駅〜R40〜YH
オロロンラインを3人(一人は本当のチャリダーなので、MY自転車)で自転車で漕いでいるので、
明らかに「北海道一周自転車旅」と間違われ、バイクや車からのクラクションが多かった。
最初は恥かしかったが徐々に慣れ、その気になっていた。

勇知からそのまま帰ると速すぎるので、兜沼に寄ろうという事になった。
列車から見れば兜沼の全景が良く見えるのだが、近くに行くと良く見えず単なる無駄足だった。
帰りのR40は自転車で漕ぐには、アップダウンが激しくきつかった。
国道の車は、明らかに時速100kmを出しているし。
宿に戻り、そのままダウンしてしまった。

◎三日目
礼文島の事はまだ頭に残っていたが、
北海道フリーきっぷを無駄にするのも嫌だったので、出発することにした。
今度の目的地は帯広である。(この時点では宿の予約はしていない)
美瑛を一度途中下車して、帯広に向かった。
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今思えば、後の旅行にさまざまな影響を与えている。
礼文・桃岩荘へ行く最初のきっかけを与えてくれているところでもある。
もしもこの年に行っていれば、旧8時間コースを歩けていたのである。その点が今でも悔しい。

美瑛も途中下車をして自転車でフラフラしている。
この時、駅前の再開発(舗装整備)をしていたが、再開発が完成した美瑛に訪れるのは8年も後のことである。
当時の美瑛は観光がメインではなかった時期である。(富良野に大きく見劣りしていた)

旅行記: 1997/8/19〜8/21(旅行全体の期間としては8/17〜8/23)
写真: 稚内フェリーターミナル,抜海駅
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