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2026年07月31日00:13

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映画『シャイニング』レビュー

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広大で人気のないホテルで、冬のあいだ管理人を務めながら小説を書く。
この仕事さえ終えれば、自分は作家として有名になれる。アルコール依存だの、教師をクビになっただのと見下してきた連中を、今度こそ見返せる。
ジャック・トランスは、そんな焦りと自負を抱えたまま、雪に閉ざされたオーバールック・ホテルへ入っていく。

だが、静まり返ったはずのホテルは、最初からどこかおかしい。
酒などあるはずのない閉鎖中のバーに灯りがともり、磨き上げられたカウンターの向こうには、当然のようにバーテンダーが立っている。
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グラスを傾け、鬱屈した思いを吐き出すジャックの前に、今度はかつてこのホテルの管理人だったという男が現れる。
彼は、自分は妻と双子の娘を Correct したのだと、あまりにも穏やかに語る。
そして、あなたも奥さんと息子さんを Correct したらどうですか、と、まるで礼儀正しい助言のように囁く。

こうしてジャック・トランスを中心に、妻ウェンディ、息子ダニーの三人だけの冬が始まる。
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外界から切り離された巨大なホテルの中で、彼らは暮らしている。
いや、正確には、ホテルの内部に少しずつ呑み込まれていく。

ここから先は映画の核心に触れます。未見なら、できれば鑑賞後に読んでほしい(十行空けます)。










夫が仕事に打ち込んでいるタイプライターの音が、ホテルのどこかから乾いたリズムで響いてくる。
このホテルは広すぎる。静かすぎる。だから少し神経質になっていただけなのかもしれない。
何も異常はない。異常など――ないはずだ。
そう思いかけたところで、タイプ音がふいに止む。

積み上がった原稿の束が目に入る。
どんな小説を書いているのだろう。ほんの少しだけ、そう思って覗き込んだ紙面には、同じ一文が延々と打ち込まれていた。

All work and no play makes Jack a dull boy.
All work and no play makes Jack a dull boy.
All work and no play makes Jack a dull boy.
All work and no play makes Jack a dull boy.

ただそれだけが、狂気じみた執拗さで、何ページにもわたって繰り返されている。
その瞬間、ウェンディは初めて理解する。
夫は小説を書いていたのではない。
何日も、何週間も、同じ一文だけを打ち続けていたのだ。

ウェンディは夫を食料庫に閉じ込める。
とりあえず、これで今夜はしのげる。
明日、天気が回復したら、息子を連れて山を下りよう。
ジャックは正気を失いかけているのかもしれない。あの目は、もう家族を見る目ではなかった。
恐ろしくて、バットで殴るしかなかった。

その一方で、ダニーは意味の分からない言葉を繰り返している。
「レッドラム、レッドラム、REDRUM……」
扉にも、その文字が書きつけられている。
    REDRUM(レッドラム)
ウェンディがふと鏡を見ると、その文字は反転し、別の言葉になる。
    MURDER(マーダー:殺人)

その瞬間、激しい物音が響く。
扉に斧が打ち込まれ、木片が飛び散る。
ジャックが外から扉を破ろうとしている。
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だが、そんなはずはない。食料庫の鍵は内側からは開かない。
それでも彼は、そこにいる。


スタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』は、原作者スティーブン・キングからコテンパンに酷評された。キングは『キャリー』『ショーシャンクの空に』『スタンド・バイ・ミー』など、映像化作品の原作を数多く持つ作家だが、とりわけ不満だったのは、夫ジャックの描かれ方だったのだろう。原作のジャックは過去に失敗を抱えつつも、なお家族を愛する温厚な男として構想されていた。だが映画は、その役に、ひと目で一癖も二癖もあると感じさせるジャック・ニコルソンを配したところから、すでに原作と別の方向へ踏み出している。
だがこの作品は、ホラー映画の金字塔として評価されている。
冒頭で挙げた場面は、私が心底恐ろしいと感じた場面である。映像的には、もっと露骨に怖い場面もある。だが、あの場面の心理的衝撃は、他と比べようがないほど大きい。

シャイニングとは、息子ダニーが持つ超能力のことである。原作ではその力はもっと強く輝いているが、映画ではレッドラムの予兆と、雪の迷路から脱出する知恵として軽く触れられるにとどまる。
狂気へ傾いていく夫ジャックを演じるジャック・ニコルソンと、それに戦慄する妻ウェンディを演じるシェリー・デュヴァル。その演技の生々しさに、広大なオーバールック・ホテルという舞台が重なる。オーバールック・ホテルは単なる舞台ではない。長い廊下、人気のないロビー、巨大な宴会場。その建築空間そのものが、人間の精神を少しずつ侵食していく、もう一人の登場人物なのである。

文章表現による恐怖と映像表現による恐怖。それぞれの極限を追求する二人の創作者の意図のずれを含めて、たとえ原作者の意図とはまったく異なる恐怖であったとしても、この映画が映像として与える恐怖は極限に近い。映像と演技、さらに音楽と音響が悪夢のような記憶を呼び起こす、傑作ホラー映画である。

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