『入国審査』(スペイン)
わずか77分ながら見応えのある問題提起作。全編ほぼリアルタイムで進行する極限の密室劇は、観終えたあとにスパイスの効いた短編小説を読了したような後味と、じわじわと精神を侵食する不快感が残り、突然のラストカットに呆然となる。安易に「スリリングで面白い」とは言い難く、同情が不信に、嫌悪が虚無へと変転する過程で、いつの間にか“尋問を受ける側”に洗脳された感覚に陥る。アレハンドロ・ロハス監督は、わずかな空間と人数で、制度と人間心理の交錯を描いている。
事実婚の関係にあるディエゴ(アルベルト・アンマン)とエレナ(ブルーナ・クッシ)が、移民ビザに当選しアメリカ移住を夢見てスペインを出国する場面から始まる。ニュージャージーの空港で入国審査を受けたふたりは、指紋や顔写真の照合を終えた直後、理由の説明もなく別室へと連行される。やがて審査官バスケス(ローラ・ゴメス)の冷徹な尋問が始まる。「どちらが主導している関係なのか」「本当に恋人同士なのか」「SEXの頻度は」ふたりの関係は言葉の刃によってじわじわと分断され、愛情という名の防壁が崩される。時間的猶予のないふたりに追い打ちをかけるように、もう一人の高圧的な職員バレット(ベン・テンプル)が介入し、尋問はふたりの関係を引き裂く心理戦へと変貌する。
ロハス監督が自身の経験から着想を得ている本作は、移民政策に特に厳しくなった現在のアメリカ政権を思えば荒唐無稽な出来事とはいえない。ベネズエラ出身でスペイン国籍を持たないディエゴ、ビザ当選者であるエレナ、そして戸籍上は夫婦でない条件の重なりが、審査側には充分な疑念の対象となる「疑いの網」に絡め取られる。審査官の入国者に対するぞんざいな態度は、制度と人間性の境界がいかに曖昧で、残酷に作用するかを突きつける社会派スリラー的な展開となる。入国審査という行政のルーティンが、個人の尊厳を奪う暴力へと変わる瞬間を、ロハス監督は臨床的な冷たさで観察する。
自分自身も2020年2月にカナダへ渡航した際、コロナ拡大期という理由でアジア人だけが別ゲートへ誘導され質問を受けた経験がある。何も疚しいことがないのに取り調べを受けるあの緊張感は忘れがたく、差別と不安がないまぜになった時間の体感がこの映画の密室にも重なる。ディエゴとエレナを通じてあの感覚を再体験した。
やがて尋問はプライバシーの侵犯から恫喝へとエスカレート。視覚的制約による圧迫感が徹底していて派手な演出効果は一切ない。照明, 音響, 演技のみで緊張を構築し、閉ざされた空間と湿った空気感、外から聞こえる工事の騒音効果が神経を蝕む。エレナがダンサーであることを理由に「ここで踊れ」と命じられる場面は屈辱の極みで、さずがに過剰な演出に思えたが、ロハス監督の妻がダンサーで実際の体験に基づいているというのだから、現実は容易くフィクションを凌駕してしまうことを痛感する。
空港の審査室はグローバル社会の縮図。国家と個人、権力と弱者、監視者と被監視者という対比が秩序の矛盾を投げかける。規則に忠実であろうとする審査官の行動が結果的に暴力を生むのだ。それは悪人ではなく、彼らも制度の奴隷なのだろう。
やがてディエゴの過去が露わになり、尋問後に生気を失った二人が交わす言葉が残酷な静けさを孕む。心の検問を可視化されて、最後に放たれる一言による痛烈な皮肉が心に刺さったまま抜けることはない。人が制度を通過するのではなく、制度が人を変質させる。これは最悪の結末なのか、それとも未来に進むための禊なのか。この映画を他人事として観ることはできない。
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