土曜日は、映画2本。
1本目は、ブルク13で、
「マレフィセント2」。
これは、「眠れる森の美女」のヴィラン、マレフィセントを主人公にしたファンタジーの続編。
“永遠の眠り”の呪いが解けたオーロラ姫の無垢な魂によって、真実の愛に目覚めたマレフィセント。だが、呪いを解いたフィリップ王子がオーロラ姫に求婚した事によって、妖精界と人間界に新たな諍いが生まれる事に……
ディズニー映画は、プリンセスが主人公なのがお約束。でも、そのセオリーを崩し、ヴィランを主役に据えた「マレフィセント」だが……前作も、そのテーマは如何なものか、と思いましたが、続編となる本作はそれ以上の怪作と言っていいだろう。
前作の成功を受けて、物語の世界観は拡大。マレフィセントの同族である鳥人族が登場、主人公らに敵対する悪役、と言う図式を、人類と鳥人と言う、種族間の争いとして描く。
これは間違いなく、現在の世界の構造を模式化したもの――先進国と後進国、あるいは富裕層と貧困層でもいい。富める者は強力な武器で弱者を弾圧し、生存権さえ危うくなった弱者が窮鼠猫を噛む反撃に打って出る。
そう言う状況にマレフィセントを追い込んだのが、支配者による流言、と言う辺りも、分断を生んだものが何なのか、と言う事を示しているように思う。
そこで始まる戦いでは、ディズニー映画らしくもなく、鳥人は次々に灰になり、教会に閉じ込められた妖精たちを虐殺して行く地獄絵図が描かれる……この辺り、血を出さなければレイティングにはひっかからない、と言うディズニーのエグさがはっきり判る。
勿論、ディズニー映画故、最後はハッピーエンドにしなければならず、最後に和解があるのは当然なのだが……それまで殺し合っていた人間と鳥人が、決着がついたらあっと言う間に和解し、オーロラ姫の結婚式に仲良く出席する、と言う脳天気さはさすがに気になる――建国以来、あれだけ戦争やってるアメリカ人なのに、何のわだかまりもなく戦争を終わらせる事を描くとは……まぁ、そんな認識だから戦争を繰り返しているのかも知れないが。
映画としてはスケールも世界観も拡大、終盤の大スペクタクルにも見応えがあるし、アンジェリーナ・ジョリーとミシェル・ファイファーと言うベテラン女優ふたりの火花散るような対峙も見物。
ただ、それにしても、ここまで政治的なものを見せるのか、と言うのは疑問であり、そのせいか、客の入りもディズニーの新作、と言う割には寂しいものだった。
2本目は、Kinoシネマズみなとみらいで、
「フッド:ザ・ビギニング」。
これは、「ロケットマン」のタロン・エガートン主演、英雄ロビン・フッド誕生を描く物語。
日本版タイトルは、近年流行の“エピソード:0”と言う感じになっているが、原題はずばり「ROBIN HOOD」だ。
ノッティンガムの若き領主、ロビン・ロクスリー。正義感に溢れる村娘のマリオンと恋仲だった彼は、突如、十字軍に徴用される。聖地エルサレムへの遠征……そして、4年後、傷ついて本国送還となったロクスリーは、領地と全財産が奪われている事を知る。
どん底に落ちたロクスリーは、十字軍出兵を阻止する為にやってきたアラビアの戦士と共に、腐敗した州長官に対し、反撃を開始する……
これは、よく知られる「ロビン・フッド」の物語を、現代風にアレンジ。時代考証を意図的に無視し、服装や言葉使いなど、ほぼ現代劇のそれ。時代劇だが、剣を使わず、弓を銃の代わりのように使う演出も、現代の戦闘シーンそのままと言う感じ。十字軍兵士の服装も、鎧を防弾ベストのようにアレンジし、まるで現代の兵士のよう。そんな彼らがアラビアで、イスラム勢と戦うシーンは、まるで湾岸戦争の1シーンのような有様。
こうした演出は、現在の観客を物語世界に引き込むのには有効であり、理解もするのだが……いただけないのは物語がいささか子供じみていること。
義賊、と言うものに対する倫理観が希薄だし、悪役となる州長官と、その背後の教会の企む不正と、その悪行の描写も薄っぺらい。
物語としては、邦題が示すようにエピソード:0ではあるのだけど……さすがにこの内容で「ロビン・フッド」を続けていくにはさすがに無理があるだろう、と思わされる仕上がりだった。
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