宿に泊まっていた一人と一緒に島巡り(途中まで)を始めた。
島のNTT送信所の近くに、周りに人家が無いにも関わらずグレーの公衆電話を見つけたので、
会社に仕事について問題が無いかの確認電話を入れた。(特に問題が無いようだった)
宮之浜→釣浜→夜明山→初寝浦→中央山→亜熱帯農業センターと
島の上半分を自転車で周っていた。
人気が全く無いのにも関わらず無駄な土木工事を続けていた。
明らかな税金の無駄である。(潤沢な島嶼復興基金でしているとの事)
初寝浦は歩いて東海岸なので途中で歩いて行ったのだが、
入口には防空壕、途中の道はジャングル、海岸に着いた頃には人気が無くなっていた。
海岸に着いたので水着も着けずに泳ごうかと思ったのだが、
一昨日におが丸で一緒だった釣り人大学生軍団が降りてきてしまったので泣く泣く止めた。
亜熱帯農業センターを過ぎると再び人気がある西海岸に出た。
小港海岸に着く頃には再び人家が無くなった。
小港海岸では宿で一緒の人と偶然に会った。
話をすると、「とにかくこの旅行ではゆったりと休む」との事。
今日は一日浜辺にいるらしく、その時は木陰の東屋でくつろいでいた。
話をしていると、おばさん二人組も加わり4人で話していた。
おばさんは自分達が食べられないからと言う事で、
みかんとコーヒー缶(190ml)2つを貰ったのである。
ここから先は、歩きでなければ行かれない綺麗な浜があるという。
その場所へ向かって歩き始めた。
中山峠→ブタ海岸→ジョンビーチと進む。
ブタ海岸辺りからは、白い砂浜,青い海と空という感じの場所を歩くことになった。
とにかく綺麗は綺麗なのだが、帽子を持ってこなかったため、日射病との戦いとなった。
ようやくジョンビーチに到着した。(80分くらい歩いている)
ここでようやく泳ごうと思ったのに、またしても釣り人大学生軍団である。
泳ぐ気力を失ったのである。
ここから先にジニービーチという浜があるらしいのだが、道が無い。
なのに声だけはしている。
おそらく海伝いにプレジャーボートで来ているのであろう。
目の前にもプレジャーボートもいるし。
南に居るはいえ、2月の後半で日射病にかかるとは思っていなかったのである。
ただし飲み物は、おばちゃんにもらったコーヒー缶だけである。
真水の出る場所も人家も無いのである。過酷な行程となった。
小港海岸に戻った頃には、脱水症状であった。
でもこの場所には自動販売機はないのである。
結局、大村の町まで自転車を飛ばして帰ったのは言うまでも無い。
宿に戻り少し休んだ後、夕陽が綺麗なウェザーステーション(三日月山展望台)へ向かった。
この場所に居るとクジラがたくさん見られるらしいのだが、
夕方になったため、ほとんど見えなくなってしまった。
水平線に沈む夕陽を待っていたのだが、雲海に沈んでいった。
それはそれでも凄く綺麗な場所である。
宿に戻り昨日と同じメンバーでうだうだ話していた。
明日からは同部屋の2人が母島へ向かい一泊するとの事。
自分も母島へ日帰りする予定だったため、着いて行く事になった。
宿の主人が言うには、DoCoMoに騙されたと怒っていた。
年が明けたら携帯電話が使えるといったのに一向に使えないとの事。
実際、日本国内の市町村で唯一携帯電話が使えない町である。
もちろん携帯ショップはないのである。
といっても住人は大村にしか住んでいないので、別に無ければ無いで特に困らないとは思うのだが。
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旅行記:1999/2/25
写真: 宮之浜, 中央山から大村方面, ブタ海岸
NTT DoCoMoの携帯はこの年の夏から(音声のみ)使えるようになったのである。
当時は関東地域のTV放送は普通に視聴出来ており(TOKYO MXも可能)、
唯一使えなかったインフラが携帯電話だけだったのである。
インターネットもダイヤルアップならば可能であった。
(アナログ通信は東京都内が隣接地域のため、1分10円<当時>である)
ただし宿の主人が言うには繋がりにくいらしくかなりモデムに細工したとの事である。
私が使ったグレー電話は町唯一のデジタル電話であった事を、夜の無駄話で知ることになる。
当時はグレー電話がない事が旅行者の間での通説になっていた。
また山の中で行われていた土木工事は、島嶼復興基金を使った工事との事。
特に人家も無い所の工事なので完全に無駄な工事なのだが、
基金を使わなければ使わないで、翌年から減額されてしまうらしく、
"仕方なく工事をしている"との事。
この島の産業は観光業ではなく、土木であるらしく。
道路工事、宅地造成工事(移住が多く宅地が不足している。そのため家賃が異常に高い)が、
至る所で行われていた。
土建屋の仕事を探しに来ていたおじさんはあながち無駄足ではないのである。
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