教育に携わる仕事をしている人や、表現者、発信者と呼ばれるような人は、日々、ネタを探している。このためアウトプットを意識してすごすようになるだろう。
何かの気づきや、思いつきを逃さないように、メモしたり、さらに思考を深めたりすることで、頭を使うことになる。これは、すごくいいことだと思う。
僕には、そのような「発信の場」はない。強いて言うなら、ここへの書き込みが、それに相当するが、自分の思いつきを書こうとは思えない。
「取るに足らない、表現する価値などない、新しくない、既出だ、恥ずかしい」と瞬時に判断することもあってか、思考を深めようとは思えない。その感覚はAIを使用すればするほど、強まるかもしれない。そして、結果的に上っ面をなぞるような思考に終始することになるだろう。
こちらの書き込みは、もはや(足跡をみるかぎり)誰も読みに来ることはない。けれども、人に見られる可能性がある以上は、言葉使いを心がけているし、わかりやすく書こうとしている。その、ちょっとした緊張感を保ちながら、少し、自分の内面、恥ずかしいことを書いてもいいかな、と思ったり。
ただし、「どこまでプライバシーをオープンにするか」という点で、制限の幅が強まるよね。
何か新しいことを、毎日、ふたつ。
・朝に、子供が電車のホームで立っている姿が眩しかった。
・昨晩は、妻がモロヘイヤをひき肉と一緒に炒めたものを出してくれた。今年初の、モロヘイヤ。美味しかった。
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