ワールドカップサッカー2026は皆さんご存じのとおりスペインの優勝で幕を閉じ、あれからしばらく経ちました。
日本代表については、今回も決勝トーナメントで1勝も挙げられなかったものの、けが人続出の中でよくやったという肯定的評価が多いように感じます。
私もそれは否定はしないのですが、同時に日本代表が頂点に立つことが出来る日が来るのはまだまだ遠い日のことかもしれないなと感じてしまったのも事実です。外国、とくに中南米の「マリーシア」に代表されるサッカー文化と日本のスポーツ文化との間に、大きな隔たりというのか、相性の悪さみたいなものがあることを感じてしまったからです。
念のために予めことわっておきますが、これは決して前者が後者より優れているという話ではありません。
「マリーシア」については、スペイン語・ポルトガル語の malicia から来た言葉で、「ずる賢さ」「抜け目のなさ」「駆け引き」「相手の裏を読む力」「状況を見てうまく立ち回る力」など、日本では、ともすれば、悪い意味にとられかねない訳語が当てられる言葉です。そのため、論者によっては、「マリーシア」に著しく否定的で、これを嫌悪、軽蔑する傾向が見られます。
確かに、「〜道」(競技名自体に「道」がある柔道、剣道、合気道はもちろん、「野球道」とか、「相撲道」とかの言葉は時々耳にしますね)とでもいった形で、ひたすら一心にそのスポーツに打ち込むストイックな姿勢が賞賛されることが多い日本のスポーツ文化の下では、「駆け引き」とか、「相手の裏を読む」とか「うまく立ち回る」とかは、鼻持ちならないという感じで嫌悪、軽蔑されがちではあるでしょう。
そんなこすっからいものに頼っているうちはまだまだだ、もっと大きく構えて、少々のことなどものともしない強い心技体を磨いてこそ大成する、といった見方が一般的なことでしょうし、実際それが現実のものとなったときは実に痛快で、溜飲が下がるというか、無上の喜びが味わえるものです。出来ることならこの痛快感をサッカーでも味わいたい、、、
ただ、よく考えると、これって審判、ジャッジのかなり高いレベルでの公正さが前提としてあって初めて実現されるものではあるんですよね。せっかく心技体に磨きをかけていいプレイをしても、肝心の審判、ジャッジが不公正であっては、不満が募るばかりです。だから、多分、例えばオリンピックで日本が金メダルを取って留飲を下げるほどの痛快な気持ちを味わうことができた競技というのは、大抵、審判、ジャッジが公正だったはずです。
逆に言えば、そこまでの高いレベルでの審判、ジャッジの公正さが当然の前提とされていない競技では、もしかしたら、日本人はいまだにそんな痛快感を味わえずにいるのかもしれません。そして、残念ながら、サッカーはその最たるものなのではないか、そんな気がしてしまったのです(もしかしたら、水球あたりもそんな競技なのかもしれません)。
極論するなら、日本のスポーツ文化の下では審判、ジャッジの公正はあまりにも当然の前提であるため、これを問題とせずにひたすら己れの心技体を磨く道に励んでいればよかったわけです。だけど、サッカーはその審判、ジャッジの公正さ自体が日本人が望むほどには整ってはいないことがあるために、「マリーシア」のようなことが必要になってくるのではないかと思われるのです。
もちろん、サッカーの世界も、公正であることは望ましいことですから、VARにみられるように、審判、ジャッジの公正さを期すための創意工夫は見られます。でも、そうした創意工夫が進めば誤審、ミスジャッジがゼロになるかというと、そういうわけでもないような気がするのです。
ピッチという所は実際に行ってみると結構広いです。あの広いエリアを隈なく動き回ってそこに展開する選手たちの一挙手一動を見逃さずに的確に判断するというのは、私から見ればほとんど奇跡に近い神業のように感じられます。そこには当然、死角も生じます。しかも、サッカーの審判にはゲームコントロールの役割まであります。したがって、最初からある程度の見過ごし、誤審は覚悟しておかなければならず、選手たちもそのことは織り込み済みで試合に臨まないと、サッカーという競技自体が成り立たないようなところがあるような気がします。
そのような競技において、頂点を目指すのなら、審判を味方にするのが一つの方法だと思われます。そのために「マリーシア」があるとは言えないでしょうか。上述の訳語も「審判を味方にするためのずる賢さ」「審判を味方にするための抜け目のなさ」「審判を味方にするための駆け引き」「審判を味方にするために相手の裏を読む力」「審判を味方にするための状況を見てうまく立ち回る力」と解すると、あながち嫌悪、軽蔑の対象にだけしておくべきことではないような気がしてきませんか?
高いレベルの公正さが保証されているような立派な審判であるなら、これを味方にしてもそれほどプラスにはなりません。でも、上述のように、少なくとも当面はサッカーの審判にそれほど高い公正さを期待できない現状では、審判を味方にできれば、大きなプラスとなり得ます。むしろ、これに失敗すると、その試合は、事実上11対12という数的不利を強いられて試合するようなものですから、その分勝つのは困難になると考えられます。
「マリーシア」には、これを嫌悪、軽蔑したくなるような側面もあるのでしょうが、頂点を目指すなら無視できない側面もあります。
世界に通用する“日本式マリーシア”とでもいうべき「マリーシア」をマスターできたとき、日本代表が頂点に立てる日は少し近づくかもしれません。
参考:この日記を書くにあたって参考にしたブログです(かなりいいことが書かれていると思います)→
https://shizuroku-blog.com/malicia/
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