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2026年07月22日05:58

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読書傾向「互いに素」

mixiには読書日記を書く方も多い。
映画日記とどちらが多いだろう、と少し考えるが、たぶん映画日記のほうがやや多い気がする。

先日、ある方の読書日記を読んでいて、過去の日記タイトルから、自分の読書とどこか「交わる」ところはないか探してみた。
ところが、それがなかなか見つからない。
かなり前まで遡って、ようやく少し重なるところがある、という感じだった。

数学では、二つの集合に共通する要素がないような関係を「互いに素」と言う。
もちろん、ここでの使い方は少し違うのだが、そのとき私は、この方と私の読書傾向はほとんど「互いに素」なのだな、と思って、少し面白かったのを憶えている。

私はSF、物理、哲学、ミステリが好きで、その方も読書日記にはミステリを挙げておられた。
けれども、同じ東野圭吾が好物であってさえ、読んでいる本そのものは重ならない。
好みの棚は近そうなのに、手に取る一冊は違う。
そういうこともあるのだなと思った。

そこから連想したのが、さだまさしの「まほろば」である。
「まほろば」 / さだまさし
https://www.youtube.com/watch?v=XFELPoEccUs
歌詞に、
「遠い明日しか見えない僕と、足下のぬかるみを気に病む君と」
という一節がある。
もちろん、その方の読書が「足下のぬかるみ」だという意味ではない。
ただ、私の読書傾向のほうが、どうも地に足の着かないものに寄りがちで、その対照が少し似ている気がしたのである。

考えてみれば、私の思考を形作った作品群は、かなり早い時期からSFに偏っていた。
中学生のころから、E・E・スミス、筒井康隆、小松左京、半村良、クラーク、ハインライン、アシモフ……といった作家たちを読んできた。
その影響がいちばん大きいのだろうと思う。

その読書家の方の日記には、たぶんSFは一冊も出てこない。
そう思うと、古い諺の「三つ子の魂百まで」を思い出してしまう。
読書家どうしなのに、本棚を並べると、ほとんど重ならない。
それでも、だからこそ面白い。
人の読書というものは、自分とは違う世界の地図を見せてくれる。


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