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2026年07月21日05:11

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反実仮想と現実・フィクションとの間

先日、ある人の随筆文で、虚構、つまりフィクションと思われる内容を、科学的なタームでそれらしく装飾して語っている文章を見かけた。
たとえば「ホモサピエンス」とか「ヒートポンプ」とか、そういう言葉を混ぜ込んで、全体にもっともらしい雰囲気をまとわせているのである。

もちろん、冒頭に「これは仮想です」とか「私の空想です」といった断り書きがあれば、まだよい。
読み手の側も、これはネタなのだな、と受け取りやすい。
だが、そういう前置きもなく、誰もが「これはネタだ」と分かるとは限らない書き方で、エッセイのように語られると、少し話が違ってくる。

私はもともと、「ネタにマジレスかっこ悪い」という空気があまり好きではない。
だから今回も、少し強めに感想コメントを入れた。

だが、こういう話は、もっと厄介な形を取ることもある。
この問題は完全なフィクション作品の中にも、別の形で現れる。
私がかなり好きなオンライン小説に、女子高校生が戦国時代へタイムスリップして苦労する話がある。
題名は伏せる。
批判めいたことを書くときには、作品名を出さないのが私の流儀だからである。

その作品では、主人公が現代の農学知識や軍事知識を生かして活躍する。
そこはよく調べているな、と感心する場面も多い。
だからこそ、なおさら気になるのである。

たとえば、竹中半兵衛が、同僚の武将たちを相手に、カンネーの戦いについて軍学講義をする場面がある。
カルタゴの将軍ハンニバルがローマ軍を包囲殲滅した、あの有名な戦いである。
少なくとも現在確認されている史料では、宣教師経由でも、この戦いの戦力配置図などが戦国日本に伝わった史実はない。
また、アメリカのタスキーギ実験についても、感染していない黒人に故意に梅毒菌を注射したかのような書き方が出てくる。
しかし史実として知られているのは、保健当局が感染の事実を告げず、治療もせずに経過観察を続けた、ということであって、故意に感染させたという話ではない。

こういうのは、九割の正しい情報に、一割の誇張や嘘を混ぜる書き方である。
歴史小説やSFには、もともとそういう要素があるのは仕方がない。
だが、ここまで来ると少し行きすぎではないかと思う。
SFなのだから、どのマルチバースの話なのかと聞きたくなるくらい、誤解を招く記述になってしまう。

私は反実仮想そのものは好きである。
むしろ、大好物だとさえ思う。
だが、だからこそ、わざと誤解を与えるような書き方は、できるだけ避けたいとも思う。
虚構なら虚構として、連想なら連想として、どこからどこまでが飛躍なのかを、ある程度は見えるようにしておきたい。

もっとも、書き手だけの問題でもないのだろう。
読み手の側にも、「ここは少し引っかかる」「何か違和感がある」と立ち止まるリテラシーは必要なのだと思う。
私は反実仮想が好きだからこそ、その境界線にはできるだけ自覚的でありたいと思う。


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