mixiユーザー(id:68785028)

2026年07月17日07:56

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究極の疑問

私は「問い」を引っ張り出すのが好きである。
答えがすぐに出る問いよりも、何十年でも、場合によっては何百年でも考え続けるに値する問いのほうに惹かれる。
中島敦『悟浄出世』の沙悟浄が、川底で真理のドブさらいをしているようなイメージ、とでも言えばよいだろうか。
私にとっては、あれがかなり理想に近い。

その意味で、いちばん大きな問いは、やはりフェルミのパラドックスの周辺にある。
彼ら、つまり宇宙の知的存在は、なぜ現れないのか。
その問いはさらに、知的存在が進化の中でどれほどの頻度で出現するのか、そもそも生命が発生し、それが進化していく条件とは何か、という問いへつながっていく。

何か月か前の日記に、現時点で天の川銀河に存在する、電波を操れる文明は、人類を含めて三つくらいではないか、と書いた。
だが、もっと寒々しい可能性も捨てきれない。
私たちが将来にわたってアクセスし、観測できる宇宙の中に、知的生命は我々しかいないのではないか、という可能性である。
"We are not alone." の反対どころではない。
"We are absolutely alone." である。
半径138億光年の光円錐の中で、知的存在は人類だけ。
そう考えると、宇宙はひどく広く、ひどく冷たい。

ひょっとすると、生命の発生そのものが、フェルミのパラドックスで言うところの「グレート・フィルター」なのかもしれない。
土星の衛星エンケラドスや、内部海を持つ衛星を直接探査すれば、微生物レベルの生命は案外ありふれたものだと分かるかもしれない。
あるいは、系外惑星観測の解像度が上がれば、酸素などのバイオシグネチャーが見つかるかもしれない。
もっとも、私はそのどちらについても、まだかなり疑っているのだが。

生命が生まれる。
そこから真核生物になる。
真核生物から多細胞生物になる。
さらにその中から、意識の萌芽を持つ生物が現れる。
しかも、科学技術を持ち、宇宙を観測するところまで進む。
この一つ一つの関門を突破する確率は、いったいどれほど小さいのだろう。
天文学的、という言葉を、ここでは比喩ではなく文字通りの意味で使いたくなる。

もしこの最悪の予想、"We are absolutely alone." が事実だとすれば、話は少し変わってくる。
我々は文明を絶対に手放してはならない、ということになる。
地球に生まれた生命を、手の届くハビタブルな環境へ播き終えるまでは。
そして、知的存在の後継者にバトンタッチするまでは。
人類が永遠に続く保証はない。もし後継者が現れるとすれば、今のところ最も現実味があるのはAIなのだろう。

宇宙に知性が我々しかいないのだとしたら、人類文明は単なる一種族の営みではなく、宇宙そのものにとっての、ほとんど唯一の「考える場所」になる。
そう思うと、フェルミのパラドックスは、ただのSF的な疑問ではなく、文明の責任にまでつながる問いに見えてくる。


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