昨日、出生率低下について考えさせられる動画を見た。
ふだんからわりと真面目に考察している人の動画だったので、なおさら印象に残った。
韓国は消滅するか?|フェミニズム最終戦争
https://www.youtube.com/watch?v=wr42AEdClQk
テーマは、出生率の低下と、男女のあいだの不信の広がりについてだった。
男と女が互いを信用しなくなり、敵視に近い感情まで抱くようになる。
しかもSNSは、そうした極端な意見を目立たせやすく、平均的な人たちまでその空気に引きずられていく。
その結果として、結婚や出産、子育てがますます遠いものになっていく――そんな構図があるのではないか、と思わされた。
韓国ではこの傾向がかなり先鋭化しているように見えるけれど、これは韓国だけの話ではなく、先進国全体に通じる問題なのかもしれない。
女性の自立や高学歴化、社会進出そのものは、もちろん大きな前進である。
ただその一方で、出産や子育てが、女性にとってあまりにも大きな負担やリスクとして見えてしまう社会のままなら、出生率が下がるのも無理はない。
そんなことを考えているうちに、もしかすると人類文明は、戦争や大災害のような劇的な終わり方ではなく、こうした静かな出生率低下の積み重ねによって、ゆっくり縮んでいくのかもしれない、という気がしてきた。
いわば、男女の役割の非対称性や相互不信が広がることで、文明が静かに終わっていく、というシナリオである。
この連想から、小松左京の『静寂の通路』を思い出した。
あの作品では、化学物質の蓄積によって出生が難しくなっていく。
けれど今の現実に起きているかもしれないのは、化学的な原因ではなく、社会的・文化的な原因による出生困難なのだろう。
また、小松左京には、女性との現実的な関係から逃れて、アンドロイドの女性にかしずかれるような世界へ向かおうとする男の話もあった気がする。
結婚の直前に、強烈な母親によって現実へ引き戻される短編だったが、題名が思い出せない。
あれもまた、男女関係の困難さを別の形で描いていたのかもしれない。
日本でも「婚活」の成就率は少しずつ下がっているように見える。
この先、男女が互いをそれほど必要としなくなる社会が、そのままずっと続くのだろうか。
それとも、どこかで社会の仕組みや価値観が大きく変わって、出生率が再び 2 を超えるような相転移が起こるのだろうか。
ただ、当面はそこを楽観するよりも、人口が縮んでいく社会の中でも、人間の営みや幸福感まで一緒に縮んでしまわないような社会設計を考えるほうが大事なのかもしれない。
人口が減ること自体は避けがたくても、その中でどう生きるかは、まだ工夫の余地があるはずだからだ。
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