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2026年06月06日06:01

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究極の医療の先にある問い

いまもまだ『安楽死が合法の国で起こっていること』(児玉真美)を読んでいる。
読んでいて気になったのは、先天性障害のある人や、安楽死の対象になりうる人が、まだ自分の意思を十分に示す前の段階から、その医療施設の中に移植コーディネーターの存在がちらついて見える、という話である。
もちろん実際には必要な役割なのだろうし、私の受け取り方がかなり影響しているのだと思う。
それでも、著者の本を読んでいると、どうしても「臓器を待ち構えている」ような不気味さを感じてしまう。
少なくとも、かなり重い問いを含んだ話だと思う。

臓器移植の倫理を考えていると、そもそも移植そのものを不要にする技術へと思考が向かう。

それで思い出したのが、以前AIとやりとりした時のことだ。
昔、倫理と生物学の関係について考えていて、私はかなり極端な想像をしたことがある。
たとえば、クローン技術で大脳新皮質は発達させず、小脳や間脳などだけを持つ個体をつくり、将来の臓器移植のために備える、といった発想である。
それをAIに「どう思うか」と尋ねたところ、かなり強くたしなめられた。
人権を持つ個体と持たない個体の境界はどこにあるのか、そういう発想は非倫理的で非人道的ではないか、と。
あの時は、かなり反省させられた。
そして、少なくともその場面では、自分よりAIのほうがよほど人道的だったことを、今でもはっきり覚えている。

ただ、その問いに少し近い形で、別のことも考える。
もし再生医療が進んで、本人の細胞から、本人の免疫に適合した臓器だけを作り出せるようになったらどうだろう。
たとえば心臓が必要なら心臓だけを、万能細胞から分化させて移植する。
そういう技術が実用化すれば、少なくともクローン個体を丸ごと用意するような発想に伴う倫理的な問題は、かなり小さくなるのだろうか。

さらに考えを進めると、話はもっと極端になる。
テロメアを無限に近く維持できて、がんのような異常細胞を完全に排除できる免疫機構があり、もしそれでも足りなければナノマシンのようなもので補う。
脳の神経細胞も更新でき、胸腺の機能も最適化されて、自己免疫疾患のリスクも抑えられる。
そんな技術がすべて実装されたら、理屈の上では、ほとんど無限に近い寿命を持つ個体ができるのだろうか。

けれど、そこまで行くと、結局は「テセウスの船」の問題にぶつかる。
身体の部品を少しずつ取り替え、ついには脳の神経細胞まで更新していった時、それでもなお「その人」は同じ人だと言えるのか。
自己とは何か、連続性とは何か、という問いが最後に残る。
究極の医療を考えていたつもりが、結局は哲学の問題に戻ってきてしまう。


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