ナチュラルノンデュアリティ
においては
私(自我催眠)を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない
ということ
そして
ほんらいのじぶんを見失っているときも
いぜんとしてここにある
実在(不変というナチュラル)
つまりは
自力(自我催眠においての)
や
自力のあとの他力
(宇宙の身体やモノや、概念としての神)
いぜんにある
ナチュラル ただ在る
ということをかいています
ナチュラルノンデュアリティ(真の神)のワクワクにおける試みの反省が
自然のなかのオートマチックの終焉(封印)
ということになります。
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