おはようございます
今朝は
イエスの奇跡講座(ACIM)の
形而上学から
みた場合の
マインドフルネスについての
感想について、試論してみたいとおもいました
仏教以外でも
さいきん流行のノンデュアリティの
説明では
日常の思考よりも感覚(五感)に意識をむけよう
そして湧いている感覚が今おきていることである(湧いていることである)
というふうに
湧いてる思考よりも、湧いてる感覚に注意をむけることをすすめているスピーカーさんがいます
これにたいして
イエスの奇跡講座(ACIM)によれば、
五感とは
大自我の投影である
(例、神からの分離の苦しみを投影すると、たとえばガン細胞をつくり、自分の身体を攻撃し、激痛という五感になる)
このように
五感にフォーカスするだけだと
それは
非活動つまりはノーマインド(ノー大自我)
という聖霊(ただ在るナチュラル記憶)のいやし
にダイレクトにつながらないのです
つまり
みずからの心を軽んじ、五感にフォーカスしてしまうため
自らの心の背後にいてくれるノーマインドの記憶である聖霊のいやしという
ダイレクトないやし
ではなくて
大自我(活動性)の投影である五感(活動性)にフォーカスすることになります
そのフォーカス状態では
大自我から湧いてくる投影(感覚)、活動性を主にみており
無活動(非活動)のダイレクトないやし
に
ついては逆に忘れがちになる
ということになります
つまり
心こそ、ノーマインドへの癒しをうけいれるダイレクトなポイントであるにもかかわらず
思考をきらうあまり
大自我の五感のほうにフォーカスしてしまうため
思考
心
ノーマインドへの癒し
という
近道
を否定して
反対の物質性(投影、五感)へフォーカスする
ことで
遠回りして、
私はいないが、おきることがおこりつづけてる
ということになります(?陥っています)
これにたいして心を原因とみぬく癒しは(奇跡講座など)
では
思考
心
ノーマインド
という聖霊(無条件の在る記憶)へのダイレクトさであり
「私はいないので、なにもおきていないようにみえる」
のです
このちがいがあり
ノーマインドにおいては
なんの努力もいらないのです(無条件、無努力からのヒーリング)
神からの分離を信じるために
うちがわをみることを恐れてしまい(否認)
外部にフォーカスしていることは
魂、意識、五感、思考
の
五感側にしかフォーカスしていないため
大自我とその分裂である魂(心)
を癒してくれる
聖霊(ただ在るナチュラルの記憶)
を否認しています
ということですので
いわば
外側への遠回り(聖霊の癒しを回避するという)の努力をしていることになるといえます
以上が
奇跡講座(ACIM)の形而上学からみてみた場合の
仏教のマインドフルネスや
流行の五感へのアプローチをすすめているバージョンのノンデュアリティついての
試論となります。
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