倫理は人の社会が「こうあるべき」という理想を集めたもの。道徳は個々の人が「どうふるまうべき」という理想の集積
ヒトの、ヒトに対する倫理と、他の生物に対する倫理は明らかに異なる。
我々は我々同士を食べない、クールー病やその他の感染症が怖いとか以前の問題、人倫に悖る(もとる)から。
ご飯の前に「いただきます」と日本人はいう。他のいきものの命を「頂いて」生きるしかヒトは生きられないから。これはヴィーガン・ベジタリアンでも同じなのに、なぜ肉食だけが罪になると考える人が居るのだろう。サラダ菜も畑から切り取るとき苦痛を感じるかも知れない、マンドラゴラ(ファンタジィの)みたく、悲鳴は上げないにしても。
目に見える動物ではなく、微生物はどうか、醤油・酒・チーズ・納豆・薬、みな微生物を利用して作り、用が済めば「殺菌」する。最後の薬は大腸菌のDNAをいじって、ヒトに有用な有機物を作らせ、最後に「殺菌」する。
古代ギリシャではヘレネスとは異なるもの、バルバロイは他の生き物のように見えていたのかも知れない。
近世・近代に入っても、全ての人を人として尊重できたか怪しい、大西洋を渡る奴隷船の中の環境は想像を絶する劣悪なモノ。
他の星の知的生命(ETI)に対してもどうか?倫理ではなく、報復が怖いから人に対する倫理を援用するだけかも?
宇宙戦艦YAMATO2199で仮想された「オムシス」、これが実現する前の、全ての「生物」ただし植物や菌類のような一次生産者や分解者を除いては、例外なく「原罪」を背負った存在です。
でもふと思ったのは、原罪を背負った人間に設計・創造されたAIは(食べ物は電力:化石燃料や原子力は、生きている生物を殺して得られたモノではない)原罪を背負っていない。その分、人間より思考が広々しているかも。
またふと思ったのですが、食虫植物は「原罪」を背負った例外的な植物ですが、かれら例えばハエトリソウやウツボノカヅラは、食虫がmustではないのではと、これは食虫植物がなぜ「食虫」するのか?という疑問です。
yamato2199に登場する「オムシス」:これは有機物シンセサイザーと紹介され、作中では生ゴミからでも美味しいパフェやステーキなどを取り出せる。
このシステムに設計図、X[どんな有機物をどれくらいの割合で混合して]、ソフトクリームを作り、そこにY,Z[これと混合して]、イチゴやメロンをトッピングし・・・・、などというレシピを延々と分析・入力した作業が前提。生きているモノを作り出すことは出来ないので、このシステムには一定の限界があると思う。友好的なガミラス人(ディッツ提督の娘)が、ヤマトの食堂でパフェをふるまわれたとき、目を丸くして喜んでいたシーンがあって、これと似たシステムがガミラスにあったとしても、レシピも個別の文化のたまもの(考えれば当たり前なんだけど)。
人間などを、他の生物の命を「頂く」ことから解放する(ただ、菌類などの分解者の取り分を減少させるという点はある)。
シンセサイザーなので、例えばストラディバリウスのヴァイオリンの音を出せるかというと、音のシンセサイザーの限界・分解能で、「それらしい」音しか出せない、どこかで単純化が行われている。これと同じで、○○牧場で育てられた□□牛と全く同じ味のステーキ肉ではないと思うが。
オムシスのような装置が、いつか我々を『食べる罪』から解放したとき、人間は初めてAIのように『広々とした思考』を手に入れられるのか、それとも『飢えという野生』を失って、実存そのものが希薄になってしまうのか?
今日は、倫理に絡んで「原罪」とそこから解放してくれる架空の装置についてとりとめなく、考えました。
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