mixiユーザー(id:68644421)

2026年02月13日14:41

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主体化催眠の終焉


静寂である平安は
自然に停止することである

意図的なコントロールは
主体化催眠によるものである

主体化催眠は

実在のサブ性質であるワクワクから全自動により
起きているもの(空想された個の主体化)である

それが
私
である

瞑想は迷想である

世俗的には

私はいつどこにいる

という幻

また、

私が方向感覚を失う(私は無をみている)
とか奇妙な経験がのこっているのは
自我の経験なのである

そこには私があり
具体的な幻がなくなった
(環境や身体がない
ちなみに
環境は空想の危険であり、はたまた?防衛すべき身体ですら病、老い、死の危険がある空想である)

私の無というものがある

その作られた無に不安になる

しかし

私自体がいないのだが?笑

ナチュラル(自然さ 平安)には

不自然な中心も

周囲の虚空だの識だの無だの
もない

不自然な中心である
私がすべてである

も妄想である

さいごの

私はいるのかどうかという不安な疑の状態
もない
奇妙さはいないのだ

こうして催眠(無明)が終焉する

真実は
無条件、無努力
ただ在るがままの平和である

私は誰か??(いかなるボディもない)
 は
幻である

私は何か??
(いろんな状態、処)
もない

私は(いるいない? 不安)
すらもない

ただ在る^_^

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