先日、「哲学が好き」コミュニティにつぶやいたモノ、それについての自分のコメントを転載します。
自由意志って何だろう?
膨大な選択肢の中から、Aという行動を選択した。これを第三者(たとえばベネゲセリット)が、「あなたの選択は予言されていました」と確かな証拠を見せられても、「予言が的中」と「自由意志選択」は独立。予言が常に正しくとも、ベネゲセリットに操られて選択をしたという証明にはならない。それと同じく、量子論も含めて正しい予測が出来る、「拡張ラプラスの魔」が存在していても、「自由意志選択」とは独立。
これ、妥当?
このAという行動を選択した人に、選択の前に「予言A」を見せる。 この人が予言者ベネゲセリットを{ 尊敬している ・ なんとも思わない ・嫌っている }とする。この人の選択の結果が not Aでも A でも この「予言」と「この人の選択」はなおも独立であろうか、否か?
このテの問いで小松左京作品を思い出した。
小松左京「影が重なるとき」、スーパー核兵器が、誤射の結果、ある町に落下する。その数日前からその町では異変が起こる。町の人それぞれに自分が入り込めない空間が出来ている、それがない人もいる。それは核の爆発で時空連続体から過去にたたき出された未来の自分だった、日に日に鮮明になるその空間から逃れようともがくが閃光と共によろめいた彼は、その影と重なる。
もひとつ、この関係で思い出した。「死神」とあだ名される、予測を悉く外す男が、心底応援する競走馬の賭けに、「オラシオン以外、すべての単勝の馬券を買う」。宮本輝「優駿(オラシオン)」より。
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