偽りの神(大自我)のノンデュアリティ
それは恵みと苦しみを与える(そうして多次元の世界を投影する)
自らが有限であるため
分裂した魂たちも
投影された多次元のボディも
何かを求めてしまう
そして偽りのものを代わりに互いに与える
しかし
実在は
与えあうことはなく
すでに自然であり
平安ですでにただ在る
そこに
空想はなく
主体はなく
目的はなく
方法はない
いかに生きるかという悩みなどあろうはずもない
論理、批判もない
必要なのは空想のただ終焉(治癒)であり
成長ではない
いわゆる天命、使命という勘違いもない
いわゆる霊性と創造も幻想にすぎない
真、善、美は幻の共有幻想である
それは大自我
の
間違った統制(コントロール)である
小さな自我からコントロールしているわけではない(それがないことをノンデュアリティだと勘違いしている、勘違い大自我ノンデュアリティの話ををよくみかけるのだが)
偽りの神(大自我)
は
自我の中でもうひとつの私をつくりだす
それは崇高や愛のあるほんとうの私とか
ワクワクからの好奇心の裏側にある不自然、苦しみを抑圧した闇の私をつくりだす
そして
3つの私があることになる
神的
私
悪魔的私
である
それが
輪廻の世界であるように成る
主体化催眠となった自我は
それらを嫌悪したり
受容したり
あれこれしているが
それは
幻想のなかのスピリチュアルである
自我は共感とか共同体とか、社会性、環境
を大事にもする
それは
偽りの世界の結束でもあるから
赤ちゃんは刺激、孤独、不安により
泣き、叫び
生まれてくる
彼は、成長を望まれて期待されている
しかし
真実は
何かに成ることではなく
必要なのは癒し
それは今ここであり
幻想ではない
深み、全体性というすでにある深化
平安
である
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