教えや癒しがおこることについて
教えみたいなのは
実在からの恩寵です
その教えを聞く機会があれば
実在(ただ在る)ことがおこる
(比喩で、ほんとうは おこるようにみえることから影響をうけなくなる)
ことによる平安がもたらされる
のだとおもいます
それ、つまりは、実在による平安というのは
二元的経験ではないため(自我目的達成ではないので、そのような活動的経験の記憶がおきてくるのではなく、つまり蓄積するのではなく
たんに一元(ただ在る)によるいやしがなされてくる
という感じだどおもいます
たとえば仏陀の教えの場合
縁起は世俗諦の教えで
無明の状態における縁起の説明がされていますが
それらは空(実在)しない
といわれています
勝義諦は
ニルヴァーナだけが実在する
という教えです
仏陀は法をも捨てよ、いわんや非法はいうまでもない
て説かれています
非法とは無知であり
法とは
世俗諦(縁起)
と
勝義諦(月をさす指、つまりこれも概念)
です
つまり、無知による経験
に執着しないというだけでなく
経験の説明(世俗諦 縁起)
や
実在についての概念(ニルヴァーナとか神とか)というものにも執着はしないように
ということなのだとおもいます
^_^
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