先月、映画『蔵のある街』(
https://www.youtube.com/watch?v=KEdPfsU7glM)を観ていたら、私にとって懐かしい絵が出てきました。ジョヴァンニ・セガンティーニの『アルプスの真昼』という作品です(上掲写真左)。
映画の方は、自閉症の兄、吞んだくれの父を抱えて好きな絵の道で身を立てることを半ばあきらめかけている女子高校生(紅子)をその幼馴染の高校生たちがある約束を果たすことで彼女とその兄を盛り立てようと街を奔走する姿を描いた、なかなか好感の持てる青春ドラマでしたが、舞台が岡山県倉敷市の美観地区であるだけに、同地区にある大原美術館(日本最古の西洋美術館)に展示されているこの絵が紅子が心惹かれた絵という設定で登場してました。
私も、初めて大原美術館に行ったときには、この絵に惹かれて絵葉書を買ったことを覚えています。大原美術館には、印象派のような光を感じさせる明るい絵はこの絵しかなかったというわけではなかったはずなのですが、この絵の明るさは子供の目にも飛び抜けて見えたのです。
なぜ、こんなに明るいのか、この点については、例によって山田五郎氏がセガンティーニの生涯も含めて、非常に興味深い話をされている動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=zMCDivik9QU
https://www.youtube.com/watch?v=XzCADvb1IT0
セガンティーニが絵を描く際の手法として点描に近い手法(線点描)を用いていることまでは知っていましたが、あの明るさがスイスの高地ならではの澄み切った空気、美しすぎるまでに美しいスイスの自然に死の影を見たセガンティーニの鋭い感受性に根差したものであったところまでは、とても思い及びませんでした。
特に、(2番目の動画によれば)どうやら空気が妙に澄み切って、自然が美しすぎるほど美しいスイスは、かえって不気味で死の匂いのする土地であり、仏教でいう涅槃の境地に達する所、死者が帰って来て再生する国であり、ヨーロッパにおける熊野であるということのようですが、そのような発想は私には皆無でした。
どうやら、私の感受性は、(良く見積もっても)スイスに行ってセガンティーニの絵の実物を観ておきながら、ぼんやりといい絵としか感じなかった斎藤茂吉のそれと同じ程度以下のもののようです。
それにしても、日本にいながらにして、ここまでのことを読み取っていたと思われる伊東静雄という人物は只物ではないですね。
ところで、この2番目の動画にも、私にとって懐かしい絵が出てきました。『悪しき母たち』です。
実は、この絵は私が持っている『フォーレ室内楽曲全集』のCDのブックレットに使われていたのです(
https://tower.jp/item/2139715?srsltid=AfmBOorugIL688Bqe1NxoHMgQhR7SU27gVg2gz9n-ehrkvhB-lgbLVOz)。
この絵が、あの明るい『アルプスの真昼』を描いたのと同じ画家の手になるものだとはつゆ知らず、私はラオコーン像※(上掲写真中)を描いたものと思い込んでいました。でも、あの絵に(子供を堕した)母への許しという深い意味が込められていたとは。
この絵にも(水子の)死の影が漂っているといえるでしょう。
こうしたことを知って観直すからかもしれませんが、私にとって観方が大きく変わったセガンティーニの絵があります。“アルプス三部作”の中の『死』です(2番目の動画では15:47に出てきます。上掲写真右)。
以前見た何かのテレビ番組でセガンティーニを取り上げていたのですが、この絵はその番組でも出てきました。その番組は、山肌に映る影に注目していました。なるほど、明らかに不自然な何かの影が映ってます。何か対応する形がないかと探していくと、右下の方に描かれた葬儀に参列する項垂れた人々や橇に乗せられた棺桶がそうではないか、ということに突き当たります。
残念ながら、その番組のスタッフの感性は私や斎藤茂吉と同じレベルだったと見えて、セガンティーニが感じ取っていた死の影にまでは思いが及ばなかったらしく、人々の影が山肌に映ってて面白いね、といった感じでしか、山肌の影の謎を取り上げてはいませんでした。
でも、山田氏の説明を聞いた今では、単に面白いねで済ませる気持ちにはなれなくなりました。
確かに、画面の上ではあの山肌の影は右下の項垂れた人々や橇の上の棺桶と見る余地があります。でも、(それは単にその絵に描かれた葬儀における死なのではなく)そこに暗示された死は、妙に澄み切った空気、不気味なまでに美しいスイスの自然から感じられる死の影なのであり、それが大地に帰り、再生して旅立つ涅槃を象徴したものではないかという気がしてきたのです。
山田氏が動画内で紹介していた伊東静雄の「曠野の歌」の一節が、ここでは恐ろしいまでにマッチしているように感じられます。
こんなことを描こうとした画家にはちょっとお目にかかったことはないです。
今日はセガンティーニの126回目の命日です。
※ ギリシャ神話のラオコーンは槍を投げつけることによってトロイの木馬がギリシア軍の計略であることを暴露しようとしたのですが、女神アテナによって遣わされた海蛇に襲われて彼の2人の息子と共に殺されました。そして、このことが、トロイア人たちにこの木馬が聖なるものであると信じ込ませることになったのです(この一連の物語を題材に書かれた有名な書物に、古代ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネーイス』があります)。
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