最近観た映画のうち、タイトルの2作品にはある共通点がありました。どちらの作品でも、伝説的名ピアニスト、ディヌ・リパッティの演奏を聴くことができた?のです。
リパッティについては、以前、こちらの日記に書いたことがあります→
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1800632393&owner_id=22841595(ちなみにこの日記に引用している『ウルトラセブン』最終回の動画はマイミク・エビネンコさんが編集されたものです)
ネタバレになってしまうかもしれませんが、『還暦高校生』には、この『ウルトラセブン』最終回のパロディであることが明らかなシーンが出てくるのです。パロディではあっても、音楽に変更はない(と思われる)ので、ここに流れたのはリパッティのピアノによるシューマンのピアノ協奏曲の第1楽章であろうと推測されるのです。
『還暦高校生』は、これをおふざけ青春ドラマと見て歯牙にもかけない向きもあるようですが、それはいささか真面目過ぎるつまらない見方であるような気がします。
この作品の冒頭には、かつてTBSで放送された青春ドラマの金字塔『スクール☆ウォーズ』のオープニングを彷彿とさせるシーンとナレーションが入っています。
https://www.youtube.com/watch?v=ooeRrFk26fo
ほとんどのお客さんはこれを観て、『スクール☆ウォーズ』を想起することでしょう(青春ドラマを真面目に撮ろうとしているなら、むしろ過去の名作を想起させるようなことは避けるはずです)。
つまり、作る側が最初から「これから大いにパロディやらせてもらいまっせ(だから、あんまり真面目に観ないで)」と宣言しているのです。最初から、思いっきり開き直っているわけです。
なぜ開き直ったのか?
それはこうした青春もの、熱血教師ものの制作の現場がいかに煮詰まり、行き詰まり、あざといものになっているかが繊細すぎるほどよく認識されているからであろうと思われます。
この手の作品では熱い感動がほとんどお約束のように要求され、そのためには、どんな要素をどのあたりにどのように入れればいいかといった、おおよそのマニュアルが出来上がってしまっています。そのマニュアル通りのことをやっていれば最低限の合格点は付く作品にはなるわけです。
でも、その結果、何の感動もなく冷めた人々が「感動作」を撮ることになってしまい、その矛盾というか、現実との乖離が繊細すぎたり過敏だったりする人には耐え難いものとなりがちです。自らが感動したわけでもないこんな作品で観る者を泣かせよう、感動させようというのは、何ともあざといというか、観る者を騙すようで申し訳ないといった一種の良心の呵責に苛まれることになってしまうのです。
無理してそんな作品を作るぐらいなら、いっそのこと、そんなことで苦しんでいる滑稽な自分たちの姿を笑いとばしてしまった方がよっぽどマシである、そんな価値判断が働いて最初から思いっきり開き直ったものと思われるのです。
そう思って観ていると、案の定、この手の作品に付き物の必須アイテムが、「はい、私たちはちゃんと勉強してお約束は守ってますよ」と言わんばかりに、次から次へと登場します。あんまり出来の良くなさそうな生徒たち、熱血先生の登場、殴り合いのケンカ、陰険な同僚、マドンナ、、、。
おそらく、作ってる時の現場で働いていた人々は楽しかっただろうなぁ。
一方、『初恋』(1971)の方はロシアの文豪ツルゲーネフの同名の原作を映画化したものです。
同原作は名作だけに何回か映画化されているようですが、1971年のこの作品は、その中でも原作を最も忠実に、しかも最も美しく映画化したものと云われています。
この作品で特筆すべきことは、何と言っても、ジナイーダを演じたドミニク・サンダの末恐ろしいまでの圧倒的魅力です。
作品の設定上ジナイーダは21歳ということになっており、演じた当時のサンダ自身もほぼその年齢だったはずですが、原作のジナイーダ以上にジナイーダになりきった圧巻の演技を見せてくれるのです。
ひらたく言えば、ツンデレということになるのでしょうが、清楚な美しさを持ちつつ、時に優しかったり、時に冷たかったりという感じで、結果的に主人公(16歳)も含めて男たちはどいつもこいつも他愛無く弄ばれてしまいます。でも、それは彼女が手練れたやり手だったというわけではなく、俗にいう悪女とかファムファタルというのとは違います。本性として振舞ったらそうなったというだけで、そんな微妙なニュアンスを実に自然に観る者に感じさせてくれるのです。
その裏には主人公の父親役も演じた監督のマクシミリアン・シェルの厳しい指導があったようですが、それを21歳程度の若さで実行に移せたというのはすごいことです。
さて、その作中、しばしばショパンのピアノソナタ第3番の第3楽章が流れ、それがその時に映し出されるシーンとよく調和していたのですが、最後の最後になって驚きました。
“To the Memory of Dinu Lipatti”と出たのです。
ここまでの文言を表示し、しかもリパッティ自身の演奏による同曲の録音も遺されているのに、わざわざ違うピアニストによる演奏を使ったとはちょっと考えにくいので、映画本編の中で流れていたのはリパッティの演奏だったのだと推測されます。そう云えば、針音を感じさせる古そうな録音だったような気がしますが、半世紀以上も前の映画という古さに起因するものと思い込んでいたため、まさかこんなエンディングが待っていようとは思いがけず、演奏そのものをそれほど熱心には聴いていなかったことが悔やまれます。
https://www.youtube.com/watch?v=Oj2M5KQ06_c
この第3楽章の演奏もいいのですが、個人的には、リパッティの同曲の演奏としては第4楽章のエッジの利いたダイナミックな演奏がさらに好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=EoQkEUfCmhg
こういう思いがけないところでの出会い、再会があると映画鑑賞は一層楽しくなるものです。
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