『リアル・ペイン 心の旅』(アメリカ)
この作品をホロコースト映画と称するのは間違っているかも知れないが、人間の心痛が普遍的であることを掘り下げ、未来への教訓にもなっている感銘は、他者の痛みを理解し、更には自身の痛みとも向き合うことの大切さを直球で訴えてくる。ホロコースト題材の映画は毎年多数製作され表現方法も尽きることがない。視点を被害者から加害者にするだけに留まらず、対外的要素に焦点をあてた異質な近作『関心領域』はインパクトが強かった。昨年は『お隣さんはヒトラー?』という佳作もあり、継承されるべき過去の惨劇をどうアプローチするかを多様化したジャンルこそがホロコースト映画なのではないか。
ニューヨーク在住のユダヤ人デヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)は、疎遠になっていた従弟のベンジー(キーラン・カルキン)と、亡くなった最愛の祖母を偲ぶため数年ぶりに再会してポーランドのトラベルツアーに参加した。大きな事件が起きるでもなく、最初から最後まで話劇に終始する本作だが、マイダネク強制収容所跡地をツアーで見学するシーンはとても印象的だった。それまで流れていたショパンの劇伴がパタリとなくなり台詞もない無音状態で、収容所よりも見学するツアー客達の表情をゆっくりとカメラが捉え続ける。感情表現をリセットして無機質に現場を映す静かな衝撃が脳裏に焼き付いた。
このツアーで巡る観光地は歴史の痛ましさを語る背景を持ち、場所自体は意外と普通の路地やベンチだったりする。だからこそ程ない距離にある収容所跡とのギャップが衝撃的で、それは『関心領域』でアウシュビッツの壁向こうの優雅な生活をするドイツ人家族を、現代の風景と比べて答え合わせをしているかのようだった。ポーランドはいつかは旅で訪れるべき場所と思っていた自分は冷水をかけられた気持ちになる。
自らのルーツを巡りながらツアー客との交流を深めるに連れ、デヴィッドとベンジーはお互いの感情を露わにせざるを得ない状況を招く。その要因は紛れもなくベンジーの共感できない振る舞いぶりで、観ていても不快になる場面が何度もあった。独善的で豪放磊落に見えるベンジーは、実は繊細なガラスの心を持つ男だということに途中で気付く仕掛けがあり、単調だったツアー道中の出来事ひとつひとつが意味ある描写だったと思えてくる。
内面的な痛みによって情緒バランスを崩していくベンジーの暴走過程は、無意識にそれを正当化させようとガイド(ウィル・シャープ)にクレームを付けたり、独り参加の女性(ジェニファー・グレイ)に声をかけたり、ルワンダ虐殺を体験した青年(カート・エジアイアワン)への表面的な理解者態度など、いわゆる“痛い行動”でデヴィッドをげんなりとさせていく。イラッと来るのは歴史的な惨劇はユダヤ人だけでなく、ルワンダしかり現在のガザ、ウクライナでもある訳で、忘れてはならない日本も戦争のトラウマはある。ベンジーの視野はそういう世界の歴史と溺愛していた祖母を失った悲壮感を同列で考えてい
るのだ。
原題の『A Real Pain』の意味は、厄介者や困った人のことを指している意味だそうで、まさにベンジーのことではあるのだが、ツアー途中でデヴィッドとベンジーが祖母の実家に行くため別行動となる別れの日、ツアー客達に別れを惜しまれるのはベンジーなのだ。ワルシャワ蜂起記念碑でふざけるベンジーを不謹慎だと注意するデヴィッドに反するかのように、他のツアー客たちもベンジーと一緒にふざけだす。疎外感を味わうのはデヴィッ
ドの方だった。
ベンジーの言葉には遠慮や妥協がない代わりに体裁も虚勢もない。それが伝わるから人を傷つける発言をしても、相手側が明敏な大人であればそれを許すどころか彼の長所として受け止める。その繰り返しを幼少時から成功体験として蓄積してきたのがベンジーの過去なのだろう。だがデヴィッドはそうではない。2度と会わない一期一会の友であればこそ好感を持って別れることもできるが、彼はこれからもこの情緒不安定なベンジーを見守り友情を維持し、時には今回のように嫉妬する日々を繰り返す。そしてまた最後は許し愛していくであろう心境を、ベンジーが席を外したレストランでツアー客達に激白するデヴィッドが本作最大の見せ場だった。後にも先にも彼が本音を吐くのはこの場面だけで、ここで他人に激白したからこそ、その後もベンジーと再び寄り添えていけたのだと感じた。
祖母の家を訪ねた時の隣人父子とのやり取りは、何か起きるのでは?という緊張感が蔓延する最後の場面。墓に石を置くユダヤ人の習俗は、他民族からすれば迷惑行為。自分のトラウマや痛みを他人と共有できると思ってはいけないし、だからといってその相手を否定してもいけない。今まで相対する状態だったデヴィッドとベンジーが、祖母邸の隣人と相対したことで共通する気持ちを持った。
自分の日常生活にも同じような経験は常にある。それを乗り越えることができるかは自分しだいで、旅を終えて空港で別れる時のふたりは実に対照的で、前向きになったデヴィッドと、冒頭の空港での姿と同じ様子に戻るベンジー。抱える痛みは自分にしかわからないし、人の数だけ痛みの種類があることを暗黙で語る複雑なラストシーンが余韻を残す。
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