ナチュラルノンデュアリティオートマチック
(奇跡講座、経由編の新仮説)
JACIM出版の小冊子「思考の逆転」
25ページから38ページまでの感想です。
解離についての説明です。
解離とは前の状況の忘却です。
原因を忘れ、自律した存在として自らを信じる
ことです。
この小冊子では明言されてませんが、
このページでいわれている自我とは、決断する主体のことだとみなすべきです。
そして、決断する主体(マインド)が
分離という考えを
現実のものとした信念をエゴと呼ぶべきです(解離された状態、忘却)
エゴは聖霊をすっかり忘れている状態であると27ページに書かれています。これが解離ですね。
この小冊子では、不適切にもエゴが成立するまでの、つまり解離が成立するまでのプロセスとして、書くべきことを
誤って、解離のあとのエゴが動機を持ってしたと言うことになっています。
しかし、それは明らかに矛盾した考えです。
エゴが成立するまでに
3段階があると語られています。
1つ目
分離という考えを現実のものとする信念
2つ目
分離の信念からしらふに戻るのを防ぐために、罪という概念を念入りに用意します
3つ目
さらに念を入れて、罪という概念を投影させ、他者が自分を加害するという構図の信念を作り上げます。
すなわち加害する神、怒る神
という概念とします。
しかし、これらは解離(忘却)したあとエゴが
できることではなく
決断する主体化催眠(自我)が
解離を実現するための
プロセスであるといえます。
忘却した存在(エゴ)にはむりです。
では、解離という目的を実現させたいという動機を持つものは誰でしょうか?
それは、この小冊子のこのページで書かれている、自我として書かれていますが、その正体は、決断する主体なのです
すなわち、
ナチュラルスピリットによって空想された個
から
その個が主体化催眠となり(自我)、つまりは決断する主体なのです
その決断する主体であるマインドが、
分離という好奇心のゲームをしたいと思いました。
しかし、単に思い込むだけでは、その不自然(間違い 訂正可能)はすぐにしらふに戻ってしまいます。
そのため、
決断する主体であるマインドが、ゲームのための解離を実現するために
上記のような3つの段階を念入りにしたのです。
それはもちろん解離(忘却)であるエゴが
できることではありません。
小冊子で語られているこのページの、
自我の目的または動機
というのは、
決断する主体が持つ意図のことをじつはいっているのです。
その反映として
こんどはエゴが
日常世界に、他者や、宗教の神との関係に投影したのです。
ちなみに、決断する主体が
エゴ(解離忘却)と偽りの神への恐れを実現するために
用いた
3番目の投影の関係については
罪を投影するという憎悪とそれを覆い隠すための、特別の愛があるというもので、
これが、形而上にある
特別の関係の元型です。
それは
(決断する主体が)捏造した神との関係のことです。
すなわち、決断する主体である自我による
3番目の封印(エゴ化)です。
そして、今度はエゴにより日常世界に無意識に投影されると、
世界宗教の神やさまざまな他者との関係として起こるようにみえます。
したがって、
ナチュラルスピリットが
分離という信念(封印)のゲーム(エゴというゲーム)
をする
最初の動機は
ナチュラルスピリットからの好奇という衝動(オートマチック)であり、
好奇心の旅を維持するために
用いたアイデアが
ナチュラルスピリットによる主体化催眠(天国を忘れた決断する主体)であり
意識はその自我のなかにおきました(意識は自我の領域にあります)
主体化催眠であるその自我は好奇心と苦しみの形而上のさいしょの主体(IAM)であり、
さらに今回の説明の上記のような3つのプロセス
を用いたことにより、偽りの宇宙の創造主としての大自我(エゴ)をつくりあげることになるのです
このエゴがさらなる解離催眠と捏造の神の恐れ
であり
ゲームを維持しつづける基盤となったのでした。
そして
主体化催眠(IAM)としての
わたしを作ったのはわたしではなく、
わたしを癒すのもわたしではないため
ナチュラルノンデュアリティのなかの
全自動なのです
この説明の内容は小冊子、25ページから38ページまでの内容にも対応しています。
あくまで、わたくしの感想です。
今回は、
ナチュラルノンデュアリティオートマチック
に
奇跡講座の形而上学を修正しながらの
感想を
あたらしい仮説
としてかいてみることになりました。^_^
以上です。
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