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2025年03月31日05:54

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罪悪感はじつはどこにも実在していない

奇跡講座に関する疑問を一つ、提示してみます(仮説)
奇跡講座では、神からの解離を自我と呼んでいます。しかし、解離した場合、神のことは覚えていないのではないでしょうか。にもかかわらず、「自分は神から離れていて罪悪感を抱いています」とのべるなら、神のことを覚えており離れたわけでない、ということになってしまいます。
自我を解離存在とするなら、自我が神からの分離という罪悪感を抱いているというのは、おかしな理解となります。たしかに自我は不自然な信念で苦しみとはなりますが、自我は「神について罪悪感は抱いていない」はずです。そして、自我以前は、神からの分離を現実とは信じていないはずですから、自我以前にも罪悪感は存在していません。
したがって形而上において、奇跡講座の形而上学において、そこに神をしらない解離した自我に、神にたいして罪悪感や恐怖があるという発想は、じつはありえないことになるのではないでしょうか。

こう整理してみると、
じつは罪悪感は実在せず、
どこにもないということがわかるのです

もし、自我は解離していても、神から離れたと、覚えている部分があるなら、そのおぼえている部分は、上記のように、神から離れていないということを覚えている部分のはずであり、
やはり罪悪感は、どこにも実在していないことになるのです。

そして
マインドはナチュラルスピリットが空想したものであり、
それをただ癒すのも
ナチュラルスピリットなのです
(これがナチュラルノンデュアリティオートマチックです)
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