(四日目)
昨日はメインディッシュの霧島登山をしてしまったこともあり、この日に元々計画していた予定がなくなってしまった。
鹿児島市内へ戻って遊ぶ、翌日の宮崎計画を前倒しするの二択となった。
鹿児島市内へ戻り遊んでしまうと、今いる国分に戻ってくるのは昨日登山から帰って時刻とほぼ同じ。
宮崎へ行く時刻が夕方になり、ただ寝るだけになってしまう。
また翌日が5/3のGW開始日ということもあり、観光地での道路混雑を懸念した。
逃げ場がない海岸線沿いの二車線道路で身動きできなくなると、帰りの飛行機に間に合わないという最悪な状況が考えられた。(理由は後述)
最終的には翌日に予定していた工程を一日前倒ししてしまう事にした。
計画が決まれば行動という事で、朝一番の特急ではホテルの無料朝食開始時刻に間に合わないので泣く泣く諦めた。
国分駅から南宮崎駅まで一気に特急で移動した。
この日は平日だったので、都城に入れば宮崎エリアの通勤ライナー的な需要があるものだと思っていたのだが、あまり見られなかった。
(各自治体に律儀に停車していたので)
南宮崎で下車したのは、駅前にある宮交シティにて情報収集するためである。
翌日の幾つかの行先候補に合わせてバスの時刻表を入手した。
さらに詳しく見てみると、宮崎交通一日乗車券があるのを発見した。
今日一日の工程だけで元を取ることが出来る優れもの。窓口がオープンする9時に合わせて購入した。
再び南宮崎駅に戻り、日南線で飫肥駅まで移動する。
平日の空いている列車で座って移動と思っていたのだが、地元の高校生が宮崎県総合運動公園で体育祭なのだろうか不明だが大量に乗っており、都心部のラッシュよりも酷い混雑だった。
高校生がじっと黙っていられるはずもなく、車内では話し声が炸裂。
都心部の電車ならば窓を開けているのだが、こちらの電車は窓を開けずに蒸し暑い混雑した車両で移動と三重苦の事態だった。
都心部のように列車の窓を開ける習慣すらないのか?と疑問なぐらいだった。
(旧型のディーゼル車なので窓は簡単に開けられる)
運動公園駅で大量下車した後は、車内はスカスカとなった。空いた列車に乗り、目的地の飫肥に到着した。
3日前に買った乗車券は、北九州市内発〜飫肥着の片道切符。
旅行の最終目的地となる予定だった飫肥では、飫肥城と城下町観光を行う予定である。
登山の翌日はゆったり・のんびりと疲れを取る工程を最初から予定として組んでいた。
飫肥駅から城下町のエリアまで橋を渡って歩いて10分程である。
橋を渡ると城下町ということで、電線の地中化が進んでおり、すっきりとした街並みである。
大通りから飫肥城へ向かう交差点を曲がると、突如「小村寿太郎 生誕の地」という史跡が目に入った。
まず小村寿太郎とは何者か?という、問題にぶち当たった。
少し歩くと「国際交流センター小村記念館」と再び小村寿太郎に関する施設があった。
入口部分だけならば無料だったので拝観した。
「日本の外交官で、外務大臣時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物」との事。
近代日本に功績を残した人物の割には、名前すら知らなかった。
またアメリカへの留学時期に、師であった小倉処平が西南戦争で自害しているとの事。
この事を知ったうえで、飫肥城、藩の藩校「振徳堂」といった場所を見てまわる事で、昔の事に思いを馳せることが出来た。
なお飫肥城は天守閣は残っておらず石垣のみ残っている。(目立つ大手門は再建)
天守閣の部分には、飫肥小学校が建っており、藩校からの流れが続いているようである。
この日は平日のため、小学校の校庭では生徒が体育の授業を行っていた。
お願いとして「生徒たちは写さないように」との事で、写真を撮らなかった。
本丸には杉が植えられているのだが、いやしの森と名付けられた大木の杉林になってしまっていた。
振徳堂の建物も残っており、こちらは隣の敷地が幼稚園+保育園であり、こちらも学問の流れを引き継いでいる。
フラフラと歩いていると、バスの出発予定時刻が近付いてきた。
名物の"おび天"を食べる時間が無くなってしまい、おびの茶屋で名物の"熱焼卵"と緑茶で昼食とした。
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写真: 小林寿太郎記念碑, 飫肥城(大手門), 藩校振徳堂
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