「オリンピックは勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
誰もが耳にしたことがある言葉だろう。この名言を述べたのは古代オリンピックを近代に復興させ、「近代オリンピックの父」と呼ばれているピエール・ド・クーベルタンだ。クーベルタンはIOC(国際オリンピック委員会)の初代事務局長を務め、五輪のマークを考案したことでも知られる。
そのクーベルタンはこんな発言もしていた。
「女性をオリンピックに参加させることは、実際的でなく、面白くなく、不快で、間違っている」
彼はさらにこうも述べた。
「女性の誇りは、産む子供の数とクオリティーを通してはっきりと表に現れる。そしてスポーツについて言えば、女性の素晴らしい偉業は、自分の記録を出すことではなく、息子たちを勝利に向けて励ますことだ」
クーベルタンは、オリンピックは男性のためにあるスポーツの祭典であり、女性はオリンピックに出場できるような優秀な男子をたくさん産めばいいと考えていたのである。あからさまな女性差別だが、女性参政権がなかった時代である。彼の発言に違和感を覚える人はあまりいなかったのかもしれない。
女性を排除して始まったオリンピック
そんな考えを持つクーベルタンの下、1896年、アテネで第1回オリンピックが開催された。当然のことながら、競技への参加が許されたのは男性だけだった。IOCは女性たちをオリンピックから完全に排除したのである。
1900年のパリ・オリンピックでは、997名のアスリート中、2.2%にあたる22名の女性の参加が許されたものの、参加できたのはテニス、セーリング、クロッケー、馬術、ゴルフといった5競技。その後、アーチェリー、スケート、水泳などの競技も加えられたものの、オリンピックの花形競技と言える陸上競技への女性の参加は1928年のアムステルダム・オリンピックまで認められなかった。
女性の五輪参加に尽力した「アリス・ミリア」とは?
やっとかなった女性の陸上競技への参加。その舞台裏では、あるフランス人女性の奮闘があった。女性をより多くのオリンピック競技に参加させるべくIOC(国際オリンピック委員会)と闘ったアリス・ミリアだ。
1884年、フランス、ナントで生まれたミリアは翻訳業を生業とする傍ら、ボート選手として活躍するスポーツウーマンだった。しかし、不満があった。スポーツの世界では、女性に男性と同じ参加の機会が与えられていなかったからだ。オリンピックでも女性が参加できるのはわずかな競技に限られていた。ミリアは、1919年、IOCやIAAF(国際陸上競技連盟)に、1924年のオリンピックに女子陸上競技を含めるよう交渉した。しかし、IOCは聞く耳を持たなかった。
拒否されたミリアは決意する。「それなら、女性は女性でオリンピックを始めよう!」と。
ミリアは1921年、国際女性スポーツ連盟(FSFI)を結成。1921年には、モナコで女性のためのオリンピックとも言える“女性オリンピアード”を、1922年はパリで“女子オリンピック”を開催した。
しかし、IOCはこの動きに難色を示す。“女子オリンピック”というオリンピックの名前が入った大会名を問題視したのだ。IOCは名称を変更するようミリアに要求した。しかし、ミリアはその要求をチャンスに変える。名称を「世界女子競技大会」に変更するのと引き換えに、1928年のオリンピックの陸上競技に女性が参加できる10種目を入れるようIOCと交渉したのである。その結果、実験的に女子100メートル、女子800メートルなど5種目を加えるという妥協点で、IOCとの交渉は決着した。
IOCの対応に満足しなかったミリアは、その後も、1934年まで、4年おきに「世界女子競技大会」を開催、大会は大成功を収めた。多くの国々が参加し、メディアも書き立て、たくさんの人々が観戦に訪れた。
「女性は体力的に弱いため無理」性差別的な報道で……
ミリアがIOCから陸上競技の5種目を勝ち取った1928年のアムステルダム・オリンピックも、女性の参加が10%近く占める画期的大会となった。
しかし、問題が起きる。“女子800メートル”に参加した9名の女性アスリート中6名がゴール後、次々と倒れたのだ。その結果、“女子800メートル”は1960年の夏季ローマ・オリンピックまで、32年の長きにわたり、女子の競技種目から外されてしまったのである。
ただ考えてみると、走り切った後に倒れこむアスリートは何も女性だけではないはずだ。なぜ、“女子800メートル”は外されたのか? その一因として、世界のメディアがレースで大惨事が起きたと過剰に書き立てたことが指摘されている。メディアの見方は、“女性はか弱いものだ”という固定観念に則った性差別的なものだった。
「6人の女性しかレースを終えることができなかったが、そのうち5人が倒れた。女性たちが疲弊するまで走り続けるのを目にするのは楽しい光景とは言えない」(ピッツバーグ・プレス紙)
「6人の女性たちが地面に真っ逆さまに倒れた」(ニューヨーク・タイムズ紙)
また、イギリスのザ・タイムズは“女子800メートル走”は「危険だ」と書き、デイリー・メール紙も「女性にとっては厳しい」と訴え、モントリオール・デイリー・スター紙に至っては「明らかに女性の持久力を超えており、女性たちを傷つけるだけだ。オリンピック種目から外すべきだ」とまで主張した。
ちなみに、このレースには日本人アスリートの人見絹枝も参加し、“女子800メートル”では日本女子初の銀メダルを獲得したが、シカゴ・トリビューン紙は同氏について「人見は疲労から回復するのに15分かかった」と書いている。
つまり、世界のメディアは総じて“女子800メートル走”について、走り切って倒れた女性アスリートの健闘ぶりを讃えるのではなく、女性は体力的に弱いため無理という性差別的な見方を示したのである。
800mはダメで、テニスやゴルフが許された理由
スポーツ史家のマーク・ディレソン氏は、メディアが性差別的な見方をした理由について、1920年代、男性は女性を「欲望のオブジェクト」と見ており、女性は成功よりも見かけが重視されていたからだと述べている。その結果、女性にふさわしいスポーツは競争しつつも女性が美しくいられるスポーツだと考えられていたという。
ちなみに、当時は、水泳も女性が美しくいられるスポーツと考えられていたようだ。メディアは、800メートル走を走り切って倒れた女性は見ていられないと指摘する一方、14時間半をかけてイギリス海峡を泳ぎ切った女性については賞賛していたからだ。
女性はスポーツの場でも美しいオブジェクトでなくてはならない。男性アスリートのように、息も絶え絶えにゴールで倒れこむ女性アスリートは美しくない。当時の男性たちはなんと自分たちの理想を女性に押し付けていたことだろうか!
“女子800メートル走”で問題が起きたからだろうか。1925年からIOC会長を務めていたバイエ・ラツールもクーベルタン同様、性差別発言をしている。
「女性たちが、いつか、完全にオリンピックから排除されたらいいと思う」
創始者は「女性の主な役割は勝者に栄冠を与えること」
それでも、「世界女子競技大会」を開催して成功を収めたミリアはひるむことなく、IOCに挑み続けた。1934年、ミリアは、IOCが女性のオリンピックへの完全参加を認めてくれれば、FSFIは「世界女子競技大会」を止めると掛け合う。その結果、女子のオリンピック参加種目はさらに拡大されることとなった。
しかし、性差別発言は終わることがなかった。
先日、米国でオリンピックの放映権を握っているNBCが公式ニュースサイトで「森氏は去らなければならない」と題する意見記事を掲載して大きな話題を呼んだが、その意見記事を寄稿したのが、オリンピック問題の専門家で、パシフィック大学教授のジュールズ・ボイコフ氏だ。ある意味、ボイコフ氏の記事が森氏辞任に繋がったと言っても過言ではない。
そのボイコフ氏は、記事の中で、IOCの悪しき性差別の歴史についても紹介している。それによると、冒頭の性差別発言をしたクーベルタンは、米国で女性が選挙権を獲得して15年が経った1935年にも、依然としてこんな発言をしていたという。
「私は女性が公の競技会に参加することに個人的には賛成していない。だからといって、目覚ましいシーンを見せない限り、女性たちはスポーツをしてはいけないと考えているわけではない。オリンピックでは、これまでのトーナメント同様、女性の主な役割は勝者に栄冠を与えることなのだ」
女性はスポーツプレイヤーというより、男性勝者を讃える役割を果たすべきだと考えていたわけである。
ボイコフ氏によると、1952年から1972年までIOC会長を務めたアべリー・ブランデージも性差別主義者だったという。女性がオリンピックに参加していることに対する彼の気持ちを的確に表す、「怒りのアベリー」というニックネームまでつけられていた同氏はIOC委員宛ての手紙の中でこう言及している。
「女性の競技がオリンピックから排除されるべきだと考えている人々は少数派になっている。しかし、まだ、あまり女性的とは言えない砲丸投げや、女性には激し過ぎる長距離走のような競技については(女性は排除されるべきという)正当な抗議の声があるのだ」
“ヌード・パレード”....屈辱的な性器チェックまで
また、信じがたいことだが、ニューヨーク・タイムズ・マガジンによると、1960年代には、国際試合に参加する女性アスリートの性器チェックが行われたこともあったという。女性とは思えない力を発揮するアスリートや、女性として参加したものの後に男性だったと発覚するアスリートも出てきていたからだ。
性器チェックは“ヌード・パレード”とも呼ばれ、医師たちの前で、女性がパンツを下ろしたり、仰向けになって膝をあげたりしたかっこうで性器を確認されることもあった。しかし、屈辱的な性器チェックには不満の声があがり、IAAFとIOCは60年代後半、ジェンダーを確認する方法として、染色体検査を導入した。
「IOC委員の33%、参加者の45%」になるまで88年
長い性差別の歴史を経て、初めて、2人の女性がIOCの委員に選出されたのは、第1回アテネオリンピックから85年を経た1981年のことだった。
1991年には、IOCは、競技種目に新たに加えるスポーツには女性も参加可能にするという歴史的な決定を行なった。その後、バドミントンや柔道、サッカー、ソフトボール、カーリング、アイスホッケー、重量挙げ、ボブスレー、レスリング、ゴルフ、ラグビー、ボクシングなどへの女性の参加も許可されていく。
2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは、参加した女性アスリートの数が1万1444人中5176名と参加者の45%を占める多さとなった。
2019年には、IOCの委員の33%が女性となった。
男性の参加しか認められなかったオリンピック競技で女性の参加が認められ、女性が委員に選出されてIOCで力を得るまで、長い長い年月を要したのである。その歴史を踏まえれば、IOCが森氏の“女性蔑視発言”を「絶対的に不適切」と断罪したのは至極当然のことだったと言える。
オリンピックに女子陸上競技が加えられてから93年。
女性のオリンピック参加の道筋を切り開いたミリアならこう言うのではないだろうか。
「オリンピックは女性が参加することにこそ意義がある」
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