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2016年11月27日18:16

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週報(16/11/21〜) 東京都慰霊堂

一度行ってみたかったものの定期券のルートから微妙に外れており、行く機会がなかった東京慰霊堂にようやく行くことが出来た。
両国の江戸東京博物館の裏手にあることもあり、定期券の乗り越しでは微妙にお金がかかるので、自転車を漕いで行ってしまった。(片道80分)
 
慰霊堂というくらいなので、ひっそりとした雰囲気が漂っているかと思いきや、意外と人が集まっていた。
銀杏が黄色に色づいているので紅葉目当てかと思っていたのだが、よくよく見てみるとスマートフォンを持ったまま動きがない、どうせらポケモンGOをしているようだ。
これは間違いなくボケストップでレアなポケモンが見つかるのだろう。
そんな光景を横目にまずは目の前にある扉を開けて慰霊堂に入った。
 
外のポケモンGOの光景とはガラリと変わり重苦しい雰囲気に包まれている。
講堂の中は座席と目の前にある祭壇だけというシンプルな施設である。
周囲にはこの慰霊堂が建てられることとなった関東大震災に関する事象の説明と絵、写真が飾られている。
この敷地自体がある横網町公園は元陸軍被服廠があった場所で、この場で火災旋風により犠牲になった人が38,000に程いる場所でもある。
この場で野焼きによる火葬を行い、遺骨を納めて埋葬し祀られている。
二度とこの様な事が起こらないように祈念するための慰霊堂である。
自分も正面にある祭壇にてお参りを行った。
 
本来はこの慰霊堂だけで済まそうとしていたようなのだが、震災に関する資料が多く集まり、「復興記念館」というのが別途作られた。
こちらの方には、震災に関する資料が展示されている。(無料)
中に入ってみると当然震災に関する資料が数多く展示されているのだが、見落とされがちな"復興"に関する資料も展示されていた。
海外からの義援に関する資料、都市復興計画に関する資料も目白押しだった。
特に昭和初期の都市計画に関する資料は自分も初めて見る資料が多かった。特に帝都復興展覧会(1929年, 昭和4年)にて展示されていたと思われる1/5000模型が圧巻だった。
まず第二次世界大戦の空襲に耐えでよく残ったものだと思えるような品物である。
他にも中央通りの都市計画模型(地下に埋められているライフラインも再現している)は、現代に通じるものでもある。
 
都市計画を見てみると、この時に計画されていた100m道路(R4三ノ輪〜日本橋〜R15品川, 外堀通り+R14浅草橋, 外堀通り〜青梅街道と山手通りの交差部分<現道無しだがほぼ靖国通り>)が出来ていれば、どれだけ今の交通渋滞が解消されていただろうか。
また環状線計画もこの時が基になっており、今揉めている築地市場を通る環状2号線もこの時の計画である。
関東大震災から93年経っても、震災復興が未だに終わっていない東京という町である。
 
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写真: 東京都慰霊堂, 復興記念館
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