9/27〜9/28の"2泊2日"で尾瀬燧ヶ岳および至仏山登山へ行ってきました。
今回は旅行記ではなく、週報扱いとして残したいと思います。
最近の旅行記は短文形式となっていますが、今回は長文形式・写真少な目となります。
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(事前準備)
今年の登山計画は、7月尾瀬, 8月十勝岳および北東北の山々, 9月槍ヶ岳としていた。
しかし7月(海の日連休)の尾瀬は天候不順で中止、8月は台風接近の中で十勝岳は登れたが、北東北の山々の登山は全て中止、9月の飛び石4連休は急遽社員旅行が途中で挟まったため体力的な問題で中止と、計画自体がほとんど未達となっていた。
飛び石4連休で使おうと思っていた有給1日を使い、9/21(日)に翌週9/27〜9/29で計画を練り直した。
この時点での候補は、槍ヶ岳・木曽御嶽山・尾瀬の3箇所となった。
ヨーロッパECMWFの長期予報から判断すると土日は絶好の登山日和だが、月曜日は台風17号が関東南岸に接近することから、帰宅日に公共交通の乱れが生じる恐れがあると判断し、長野県の山が候補落ちした。
その結果7月に行かれなくなっていた、尾瀬に決定となった。
10月になると紅葉シーズンで混雑が予想されるが、9月末ならばまだ空いているうえに今年は9月の気温が低めに経過した事から紅葉も早く進んでいると判断し、ベストシーズンと思われた。
最終決定は秋分の日(9/23)となった。
この時点では台風17号は予想よりも関東に接近しない予報に変わりつつあったが、土日の天気の好調さは変わらない。
この日に東武トラベルにて尾瀬夜行の申し込みを行った。
最初の行程では、尾瀬夜行〜鳩待峠発りょうもう号の行程だったが、りょうもう号へ乗り継ぐためのバスが満員となったため仕方なく高速バスで川越へ出るコースで発券した。
(9/26)
仕事から帰宅後に登山用荷物のパッキングを行い、家を出たのが23時となった。
駅前のスーパーで水と食料を買い込み、普段の通勤と同じく北千住駅へ向かった。
終電2本前の上り電車だが意外にも乗客数は多め、私と同じような登山客は見当たらないが深夜発飛行機便で出かけるような人が目立っていた。
金曜日の終電間近の北千住に到着すると、当然ながら酒臭い。
その中でも私と同じく登山ウェアの人が集まってきているのが見受けられた。
特急乗り場入口に行ってみると改札開始前だったが、2分程待つと改札開始となった。
初めて北千住の特急乗り場ホームに行ってみたのだが、待合室以外は殺風景なホームであった。冬場はこのホームに長居したくはないと思わせる程である。
(9/27)
ホームで電車を待っている内に日付が翌日に変わり、0:10に尾瀬夜行の電車が到着した。
旧りょうもう号および急行南会津に使っていた車両であり、今でも特急しもつけ・きりふりに使う優等車両である。
しかし夜行電車として使用するとなると最悪な電車だった。
まずリクライニングシートではない上に、座席は中途半端に傾斜がついている。
座ったまま寝ようにも腰に異常に負担がかかり眠れない。
"急行はまなす"ですら楽に寝ることができる私ですら寝られない電車だとは思わなかった。
春日部を過ぎると電車内にて大声で話していた人も徐々に静かになり、1:00丁度に減灯した。
この時点で空いている席は終点まで誰も乗ってこないため、自由に移動する事が出来た。
私の後ろ席に座っていた人も移動したようなため、座席自体を裏返しにして4人がけ座席を独り独占して仮眠に着いた。
3:20会津高原尾瀬口駅に到着した。
3:50まで車内に居られるのだが、この間にもトイレにいったりお弁当を受け取ったりと意外と時間はない。
4:20に会津交通の観光バス型タイプの路線バス車両3台に分乗し、駅を出発した。
バスに乗った後で朝食のおにぎり弁当を食べたこともあって、バスが動くとすぐに寝てしまった。(夜なので景色も見えないので、なおさら)
駒ヶ岳登山口の所で一度目覚めたが、その後は尾瀬御池まで起きることはなかった。
元々は沼山峠から歩くことにしていたが、燧ヶ岳の見晴新道が閉鎖されていることもあり沼山峠から廻ると無駄な行程が発生しそうだった。そのため御池から燧ヶ岳へ登ることにした。
尾瀬御池を6:00丁度に出発した。すでに駐車場は半分くらい埋まっている。
この時間になるとヘッドライトの装着はなくても十分明るくなってきた。
また熊鈴はどうしようかと考えたが、持っては来ているが付けないことに決めた。
人が多い事もあって熊も寄ってこないだろうというのが判断理由である。
尾瀬御池6:00 - 広沢田代6:40 - 熊沢田代7:30 - 燧ヶ岳(俎��)8:50 - 燧ヶ岳(柴安��)9:10
標準タイムは3:30であったが40分短縮し8:50に到着してしまった。
時間が十分余っている事から東北地方最高峰の柴安��(2,356m)に移動し、頂上で景色を見ながらのんびりと休憩した。
燧ヶ岳に入り初めて肉眼で尾瀬沼と尾瀬ヶ原を見たのだが、「なぜ今まで来ていなかったのだろう」と後悔した。
また尾瀬ヶ原はすっきりと晴れているのだが、周囲を囲む山々の外は雲海が広がっていた。
雲海の上には浅間山がくっきりと見え、その先にはうっすらと富士山も見えていた。
この景色を見ていると半日以上この場に居ても飽きないだろう。
しかし今日の宿泊は見晴であり、ここからさらに5時間半も歩かなければならない。泣く泣く10時に燧ヶ岳から下山を開始した。
帰りは足に負担が少ない長英新道を経由し尾瀬沼湖畔へ移動した。
傾斜が緩やかなのは良いのだが、1合目の看板からは30分も歩かないと尾瀬沼に着かない程の距離があるとは思ってもみなかった。
あまりにも尾瀬沼に着かないので道を間違えたかと思ったほどである。
尾瀬沼湖畔に到着すると、ようやく登山客ではない尾瀬沼散策をしている普通の観光客の人がちらほらと増えてきた。
燧ヶ岳(俎��)10:00 - 長英新道分岐12:00 - 12:35 沼尻 13:00 - 見晴14:40
40分弱歩いて尾瀬沼西岸沼尻休憩所に到着した。
この時間になると直射日光がきつく日陰がある休憩所で休めるのは本当に気持ちよかった。
この場所で、会津高原駅で受け取った昼食用のきのこ弁当を食べた。
パンフレットの写真ではコンビニ弁当のような巨大容器サイズだったが、実際に配られたのは2段式のコンパクトサイズの容器だった。
ゴミ捨て場がない尾瀬では、コンパクトに畳める容器は非常にうれしい配慮である。
沼尻から見晴までは山道を進んでいく。
標高自体は250m下るのだが、実際には峠道であるため一回登った後に急な下り坂を延々と歩くことになる。
昼食帯を過ぎた事もあって、尾瀬ヶ原方面から歩いてくる人はほとんど見かけなくなった。
あまりにも人を見かけないため、笹薮が風に揺れる音が聴こえると熊が出てくるかと思って用心した位であった。
2時間弱歩いてようやく今日の宿・弥四郎小屋がある見晴に到着した。
予定到着時刻は15:30〜16:00を予定していたので、1時間くらい早い到着であった。
6:00から歩き始めていることもあり、休憩時間を除いた徒歩時間は7時間を優に超えていた。
明日歩かなくて良ければ、まだまだ歩ける体力は残っている。
しかし明日は宿の目の前に広がる尾瀬ヶ原の奥に見える至仏山登山であるため、体力を温存しておくことにした。
弥四郎小屋にチェックインした。
チェックイン時点で明日の朝食を弁当に変更するのをお願いしたところ、「20時頃に部屋にお持ちします」との事。
今日は特にお客さんが多いようなので恐縮してしまった。
なお夕食・朝食ともお客さんがおおいことから3回制である。初回は17:00開始である。
またこの宿は山荘でありながらもお風呂があり、15:00から開始との事。
弥四郎小屋は外観こそ昔ながらの板張りでありながら、内部は意外と綺麗である。
客室は昔ながらの民宿風な雰囲気が漂っているが、他の共用部分は真新しく整備し直されておりトイレ・洗面台は新品そのものであった。
また入口には液晶テレビが置かれており、常時NHK BS-1の映像とデータ放送の天気予報(桧枝岐村)が映し出されていた。
建物自体は本館と新館の2つに分かれている。
本館は3階建てなのだが、増築していく段階で中二階が作られたようで非常に段差が多い。
客室に入ると既に二人の先客の人がいた。
話を聞くと大清水側から入り、私より早い時間に燧ヶ岳を登って来たとの事。
話をしていると15:00のお風呂開始のアナウンスが入った。
遅い時間になると混雑するのは目に見えている事から、早々とお風呂に入ってしまった。
お風呂は浴室が2つ、カランも2つ(ただし一つはシャワー)とコンパクト。
石鹸類は使えないので単に汗を流すだけなのだが、この場所でこの設備があるだけで十分豪華である。
部屋に戻りベッドメイキングを行った後、宿前にあるベンチで休んでいた。
16:00を過ぎると続々とチェックインする人が増えてきた。また燧ヶ岳の登山道・頂上で見かけた団体さんも入ってきた。
この団体さんはチェックイン後、目の前のベンチで宴会を始めていた。
また同室の人とジョッキの生ビールを飲みながらもコーヒーショップ前のベンチで話をしていた。
16:30も過ぎると暑かった日差しもなくなり、突如寒くなってきた。
17:00になり夕食を食べた後、夕暮れとなった尾瀬ヶ原にヘッドライトを付けて出かけてみた。
弥四郎小屋の灯りが強烈なのだが、夕暮れから夜になっていく空には星が瞬いていた。
夜になると天の川までしっかりと見えてきた。
寒くなり部屋に戻ると、先程の団体さんは真向かいの大部屋に泊まっているようである。
また外での大宴会では飽き足らず、部屋内でレクリエーションを始めていた。
ゲームをしたり歌を歌ったりとかなり自由である。
間違いなくこの世代が「ユースホステル運動を実践していたリアル世代」なのだろうと感じた。
実際にユースホステルの言葉も普通に発せられていたくらいである。
先程外でビールを飲みながら話していた同室の人が携帯ラジオを聞いていたらしく、信じられない言葉を発した。
「御嶽山が爆発した」
元々この週末は、文頭に書いた通り槍ヶ岳・御嶽山に行く可能性もあり、被災する可能性もあったのである。
御嶽山にそのような兆候がないのは把握していたので驚愕した。
受付ロビーにあるテレビでは相変わらずNHK-BS1が流れており、普通にスポーツ映像が流れていた。
20:00になり、同室の人は私以外の人は寝てしまったこともあり消灯して眠りに着くことにした。
なお翌日の朝食代わりのお弁当も消灯前に届いており、お弁当だけではなく個人用お茶セットも置かれていた。
部屋の真向いにある団体さんは20:00を過ぎてもまだ盛り上がっていたが、
宿自体は21:00消灯であるため、そのあとすぐに就寝準備に入っていた。
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旅行日:2014/09/26(Fri)〜09/27(Sat)
写真: 熊沢田代から燧ヶ岳(俎��), 燧ヶ岳(柴安��), 尾瀬沼
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