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俳諧師:近江不忍コミュの十二、自由律の句に就いて 『發句雑記』より

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この作品は自作の詩や小説、隨筆などを讀んで戴く時に、BGMとして流さうと思ひつき、樣々なヴアジヨンを作らうとした内のひとつで、今囘は、

『YAMAHA QY100 Motion1(Mirror) &(Substance) 柿衞文庫(KAKIMORI BUNNKO)
Takaaki Mikihiko(高秋 美樹彦)』

で作つて見ました。





     十二、自由律の句に就いて


 
 發句には日本的情緒といふものが必要で、それが確保されるならば、たとへ『破格』であらうとも發句である、といふ意見は亂暴(らんぼう)な話であると言はねばならない。
 日本的情緒といふものが「風雅」とか言はれるもので、それを「俳風」あるいは「俳味」といふものであるとするならば、日本文學は多分に俳文的であると云へるだらう。
 日本人が日本的情緒を多かれ少なかれ持つてゐるのは、當り前の話である。


 抑々(そもそも)、『自由律俳句』といふ考へは、芭蕉に始まつた江戸からの宗匠制度による「月竝(つきなみ)」に陷(おちい)つた弊害を脱却する爲に、松尾芭蕉(まつをばせう・1644-1694)よりも與謝蕪村(1716-1783)を重んじた正岡子規(1862-1902)が、發句を排して「俳句」と稱する事となつたが、結局、彼を中心とする『ホトトギス派』といふ新たな宗匠制度となつたに過ぎず、その權威を以(もつ)て子規の唱へた「寫生俳句」が世間に蔓延する事となつた。
 その弊害は、彼の非難した「月竝」よりも遙かに大きなものだ、と筆者は考へてゐるが、その弟子たちから『新傾向』といふ考へが起り、河東碧梧桐(かはひがしへきごとう・1873-1937)や荻原井泉水(おぎはらせいせんすい・1884-1976)などによつて『自由律俳句』の運動となつたのは、皮肉な結果であつたと言へる。


 だからと言つて、尾崎放哉(おざきはうさい・1885-1926)の詩句のやうに、

   せきをしてもひとり

 僅か「九音」しかなく、この作品を發句といふのは言ひ過ぎで、いや、一歩を譲つて「俳句」だとしても、これを「俳句」と呼んでいいのだらうか。
 發句といふものは語り過ぎるのもいけないが、また逆に説明不足もよくない。
 これは何も發句に限つただけでなく、文學作品全般に言へる事ではあるまいか。
 この詩句は、明らかに説明不足であると思はれる。


 更に、大橋裸木(1890-1933)の詩句にも、

   陽へ病む

 といふ「四音」の作品があるが、これなどは字義通りに詠めば、太陽に向つて病氣になりに行く、といふやうな内容になつてしまふ。
 なにをか言はんやである。
 これが許されるならば、

   さらば友よ

 でも、

   すべてが春

 でも良くなつて、そこにさも重要な哲學的かつ文學的な逸話(エピソオド)や背景を夢想しようとすれば、幾らでも可能となるだらう。
 これで世界で最短の詩形だと威張つてゐていいのだらうか。


 このやうに獨り角力を喚起させるやうな考へで創作された作品は、發句といふ形式に寄りかかつて目が曇つてゐるから、發句だと澄ましてゐられるのであつて、かりにこれが『短詩』といふ事で鑑賞すると、讀者は多くを諒解出來ないのではあるまいか。
 詩には『定型』と『自由律』とがある事は納得出來ても、『自由律俳句』の人々がいふやうに、「俳句」に『定型』と『自由律』があるといふのは滑稽でさへある。


 發句あるいは「俳句」は『定型』のものをいふのであつて、芭蕉でさへ『字餘り』の句はあるものの、所謂(いはゆる)『新傾向』と同じやうな激しい『破格』の發句は二年間で脱却してゐる。
 それでも『自由律』といふものを唱へたいのであれば、新たな名稱を與(あた)へて、形式を整へてから論ず可きだらう。


 餘計なお世話かも知れないが、例へば、『季語』の有無も問はず、三、四文字から三十文字以内で表現された俳風のある短い詩句を、散文による句といふ事で、

 『散句』

 とでも命名すれば、納得も出來るであらうかと思はれる。


 元々、發句とは俳諧の連歌の第一句の立句(たてく)から獨立したもので、それを單に俳諧と云つたり發句と稱してゐたのだが、連歌には『有心(うしん)連歌』と『無心連歌』があり、和歌的な『有心連歌(純正連歌)』に對し、諧謔性の強い『無心連歌』すなはち俳諧の連歌は一句ごとに『俳言(はいごん)』を加味するのを常としてゐた。


 『俳言』とは、和歌や本連歌に用ゐられる事のない、俗語や漢語を指してゐた。
 更に言へば、俳諧の「俳」はおどけや戯れといふ意味があり、『諧』といふ字も同じくおどけや冗談といふ意味がある。
 詰り、俳諧の主流は諧謔であつた。
 それを「五七五」の十七文字に纏めた文學を、發句と稱したのである。
 大和言葉を使用した和歌を『柿の本(有心)』と云ひ、俳諧歌を『栗の本(無心)』といふのださうだが、その意味では、發句よりも寧ろ、その後に發達した『川柳』や『狂句』の方に、その諧謔性が移行したといふのが近いだらう。


 さうして、本來あつた諧謔性の強かつた俳諧の發句を藝術の域にまで高めたのが、芭蕉庵桃青である。
 以後、芭蕉における『俳言』は、「俗語を正す」といふ事に昇華され、その本質であつた諧謔は陰を潜め、その一方でそれを捨てるに忍びず、『川柳・狂句』といふ形で殘されたと思はれるのは、既に述べた通りである。
 世の移り變りの事件を揶揄(やゆ)したり、個人的な内容を大袈裟に語るつもりならば、敢て發句をひねる必要もない。


 野村朱鱗洞(1893-1918)の詩句に、

   人は林にいこい林の鳥は鳴き

 この十九文字の作品がある。
 放哉の詩句に、

   いれ物がない兩手でうける

 といふ十五文字の作品がある。
 裸木に、

   蛙の聲の滿月

 といふ十一文字の詩句があるが、それらのどれもが言葉の不足や語り過ぎを露呈してゐて、大須賀乙字(1881-1920)氏の言に從へば、『二句一章』の一句を缺(か)いた『一句一章』といふ事になり、なにか明治の中期に流行した『新體詩』の一部のやうである。


 發句が總てを語れるものでない事は、今更言ふまでもないだらう。
 發句には發句に見合つた内容や容量があり、また字數もそれに伴つてゐるのであるが、さうは言つても、芭蕉にだつて、

   辛崎の松は花より朧にて

 といふ平句のやうな作品もあり、寧ろ短歌にした方が良ささうな句もあるが、それは俳諧の發句が芭蕉にとつて、連歌と一體のものであるといふ認識のもとに立つてゐたからで、當時(たうじ)、『附合(つけあひ)』といふもとは切つても切れない關係にあつた事の證(あかし)であつたと言へるのである。


 芭蕉は個々の句作の批評もしたが、『附合』によつて詩人としての感性を磨き、個人の慰みに堕する事のないやうに、それを利用したのだと思はれる。
 こんにちの同人誌は、外交辭令の花盛りと言へるだらう。
 現代にも『附合』を發表するやうな連歌雜誌が、もうそろそろ出現してもいい頃だと思ふが、どうだらうか。


     一九八七昭和六十二丁卯(ひのとう)年十月三十日零時半



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(1) 第五章 『字足らず』の『拍子(リズム)』に就いて『發句拍子(リズム)論』より
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四、連歌の作法
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十三、發句の論理性に就いて(1) 『發句雑記』より
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初めからどうぞ

一、發句と「俳句」 『發句雑記』より
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