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俳諧師:近江不忍コミュの2、第六章『字餘り』の『拍子』に就いて

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 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の,

 『Motion1(合唱・chorus)』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。







     二、「上句七音」の『字餘り』に就いて


 次は、「上句」が「七音」の『字餘り』になつた、「七音・七音・五音」の「十九文字」の『破調』である。
 しかし、「六音」の『字餘り』に對して「一音」多くなつただけだが、これがなかなか難しい。

   C♪♪♪ ♪† ♪†ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    つばめ とび かふ  そら しみじ みと いえでかな
      燕  飛び かふ  空  しみじ みと 家 出かな  山頭火

 これは山頭火の詩句で、「上句七音」は、『八分音符(♪)』三つで「三連符(♪♪♪=†)」の一拍と、『八分音符(♪)』一つと『四分音符(†)』一つの「三連符(♪†=†)」が二囘繰返されての「二拍」と、『四分休符(ζ)』が「一拍」とで、都合「四拍」となる「一小節」になつてゐる。
 「中句」は「二音・五音」とで「七句」となり、「四音・三音」の時の音型と同じ「一小節」で、「下句」は純然たる「五音」の音型を保つて、全句で『四分四拍子』の「三小節」となつてゐる。
 句意も鮮明で、「家出」をして「空」を見ると、「燕」が幾羽か「飛びか」つてゐる。
 「燕」に比べて自分(作者)は獨りさすらふのだといふ心境が、「しみじみと」出てゐる。
 唯、「しみじみと」といふ生の言葉を使はなければ、もつと良かつたのではないかと思はれるぐらゐである。
 自然と個人(作者)との對比といふ表現は、發句ばかりではなく、詩といふ大きな樣式の中で、最もよく使はれる技巧の一種であると言へる。

 次の作品は、

   C♪♪♪ ♪♪♪ †ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    さ るを き くひ と   すて ごにあきの  かぜいかに
    猿 を  聞  人      捨 子に秋 の 風 いかに  芭蕉

 この句は芭蕉の作で、同じやうに、「七音・七音・五音」の音調であり、「上句」が『八分音符(♪)』三つで「三連符(♪♪♪=†)」となつて、それを二囘繰返して「二拍」とし、『四分音符(†)』一つと、『四分休符(ζ)』一つの「一拍」とで「四拍」となり、「一小節」となつてゐる。
 「中句」は「四音・三音」の「七文字」で、「下句」と共に、前の句と音型に變りがない。
 
 さて、ここで重要な事は、「上句」の「七音」は、基本的には「中七句」の時の「七音」と、同じやうには扱へないといふ事である。
 といふのは、「中七句」は「下五句」へ繋がる音型で、殆ど「休止延長記號(フエルマアタア)」での休止で濟むが、「上句」の休止は『詠嘆』であるから、必ずと言つて良い程『四分休符(ζ)』の「一拍」を必要とするし、多い時は、例へば「中七句」が「三音・四音」の構成による場合は、最初に『八分休符(γ)』があるので、「上句」の最後の『四分休符(ζ)』とで「一拍半(ζ+γ)」の『休符記號』がある事になる。
 もつと嚴密に言ふと、「上五句」の場合に、

   C♪♪♪♪†ζ|

 この『八分音符(♪)』四つでの「二拍」と、『四分音符(†)』一つで「一拍」と、『四分休符(ζ)』一つの「一拍」とで「四拍」となる『四分四拍子』の「一小節」といふ音型は、次の、

   C♪♪♪♪♪γζ|

 といふ『八分音符(♪)』が五つと、『八分休符(γ)』一つとで「三拍」となり、『四分休符(ζ)』一つの「一拍」とで、『四分四拍子』の「一小節」になる音型だと考へても差支へなく、さうすると、それだけで「一拍半(ζ+γ)」の休符記號がある事になり、更に「中七句」が「三音・四音」の『八分休符(γ)』を足すと、

   C♪♪♪♪♪γζ|γ♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    ふるい けや      かはずと びこむ みづのおと
     古 池 や        蛙 飛び込む 水 の音   芭蕉

 この句のやうに、「上句」と「中句」の間の『詠嘆』による大休止は、「二拍(γ+ζ+γ)」の休符記號があると考へる事が出來る。
 猶、『休符延長記號(フエルマアタア)』は停止を意味してゐるので、休符とは基本的に違ふ性質のものである。
 
 のみならず、「上句」の『字餘り』に於いて「七音・七音・五音」の音調といふものは、「三小節」たり得る限界の音數でもある。
 本來、「七音」といふ音型は、先に述べたやうに、

   C♪♪♪♪♪♪†|

 といふ『八分音符(♪)』六つと、『四分音符(†)』一つとで、「四拍子」の「一小節」となつてゐるものと、

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|

 のやうに『八分休符(γ)』一つと、『八分音符(♪)』七つとで、「四拍子」の「一小節」となつてゐるものとがある。

 この句の「上句」は、

   猿を 聞人(きくひと)

 で「三音・四音」となつてゐる。
 その音型を利用して、しかも『詠嘆』による大休止を與(あた)へ得る音型とする爲には、

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
      さるを きく ひ と        すてごにあきの かぜいかに

 このやうに「一小節」目が『八分休符(γ)』一つと、『八分音符(♪)』七つで「三音・四音」の音型を構成し、「猿を聞人」の最後の「と」に、『八分音符(♪)』一つと「二小節」目の最初の『四分音符(†)』一つとが弧線(タイ)で繋がつて一つの音となつて與(あた)へられ、後の「二小節」は總て『四分休符(ζ)』三つで「餘韻」として扱はれてしまつてゐて、「三小節」目からの「中句(四音・三音)」と「下句」はお定まりの音型であるが、これでは「四小節」になつてしまつてゐる。
 御負けに、全體を半分の「十六分音符」に變へてしまつても「二小節」になる譯で、これでは、發句は『四分四拍子』の『三小節』といふ定義から外れてしまふ事になる。
 その理由は、言ふまでもなく「上句」の音數が「中七句」の文字數と同じで、その上「二小節」目に『詠歎』の「休符(ζ)」が「三拍」もある事が原因である。


 では、「七音・七音・五音」の音調の句を列擧して見る。
 
   C♪♪♪ ♪♪♪ †ζ|γ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|
    いのち ふたつ の     なかにいき たる  さ くらかな
     命  ふたつ  の     中 に活 たる   櫻 かな  芭蕉

 一作目の「命ふたつの」とは、長らく逢へなかつた知人との再會を意味するものである。
 「知人」とは同郷の土芳の事で、水口での吟。

   C♪♪♪ ♪♪♪ †ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    にしか  ひがし か   まづさ なへにも かぜのおと
    西 か   東  か   先 早 苗 にも 風 の音   芭蕉

 二作目は、『奥のほそ道』の「白川の關」で詠まれた句で、曾良隨行日記の中にこの句がある。

   C♪♪♪♪♪♪♪γ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    めでたき ひとの   かずに もいらん おいの くれ
    めでたき 人 の    數 に も入らん  老 の暮   芭蕉

 三作目は、「古池や」の句の詠まれる前年の作と言はれてゐるが、「上句」の音型の「一小節」目の最後の『八分休符(γ)』は、「休止延長記號(フエルマアタア)」を附けて『詠歎』の「餘韻」を與(あた)へる必要があるが、それならば、

   C♪♪♪♪♪♪†|

 かういふ風な音型にして、最後の『四分音符(†)』に「休止延長記號(フエルマアタア)」を附ける方法も有効な手段であるから、以降はこれで行く事にする。

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    そでよごす らむ たにしの あまの すきを なみ
     袖 よごす らむ  田螺 の蜑 の 隙 をなみ  芭蕉

 四作目は、「上巳(じやうし)」といふ詞書がある。
「上巳」とは『陰暦三月上旬の巳(み)の日の事で、この日は川で身を清め、魏以降三月三日となる(角川 新字源より)』

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
      みそかづ きナシ  ちとせ のすぎを だ くあら し
      三十日 月 ナシ  千とせ の杉 を 抱 く 嵐   芭蕉

 五作目は「甲子吟行」の中の句で、伊勢山田の作。
 以上が芭蕉の作品である。


 次は蕪村の作品である。

   C♪♪♪ ♪♪♪ †|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
     かどを いでれ ば われも ゆくひと あきの くれ
     門 を 出  れ ば  我 も行 人  秋 の くれ  蕪村

 これは蕪村の句で、但し、この句が「六音・七音・五音」の音調か、それとも「七音・七音・五音」の音調かに就いては不明で、既に述べた通りである。

   C  †    †   †ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    ぎやう ぎやう し   どこが かさいの い きどまり
    行   行   子   どこが 葛西 の 行  溜 り  蕪村
 この句は「七音」であるが、拗音だから「三連符(♪♪♪=†)」の使用がなく、「五音」と同じ扱ひになる。

   C  †    †  †ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    ほちや ほちや と   やぶあさがほの さ きにけり
    ほちや ほちや と   藪   蕣  の 咲 きにけり  蕪村

 この句も上句が「七音」であるが、實は拗音なので、

   C  †     †   †ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    ほちや ほちや と   やぶあさがほの さ きにけり

 どちらもかういふ音型になるのが本來の詠まれ方で、その前の句の「行行子」の句と同じ『拍子(リズム)』である。
 歴史的假名遣だと、拗音は小文字で表記しないので、そこら邉(あた)りの事情がよく呑込めない時がある。
 特に「ほちやほちや」といふ言葉は、方言的な言葉であるらしく、それが更に事情を複雜にしたと考へられるだらう。
 詰り、漢字の當てられない擬音は、さういふ運命に等しくあると言へるのではあるまいか。

 さて、そこで「上句七音」の音型を調べて見ると、

   C♪♪♪ ♪♪♪ †ζ|

 といふ音型が壓倒的に多いが、

   C♪♪♪♪♪♪♪γ|

 かういふ音型も幾らかあつた。この音型の最後の「八分休符(γ)」に「休符延長記號(フエルマアタア)」がつく事によつて、解決したやうに見えるかも知れないが、實は、

   C♪♪♪♪♪♪†|ζζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    めでたき ひとの         かずにもいらん お いのくれ
    めでたき 人 の         數 にも入らん  老 の暮  芭蕉

 このやうに「四小節」の句になつて、「二小節」目が『全音休符(四分休符ζζζζ四拍分)』となつた方が、呼吸としては自然であると思はれる。
 それは「西か東か」といふ句や、「門を出れば」といふ「三音・四音」で七句となる上句を、

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|

 このやうな音型に變へた時に、よく理解出來るのではないかと思はれる。
 それを示せば、

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
      にしか ひがし か       まづさ なへにも  かぜのおと

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
      かどをい でれ ば       われもゆく ひと  あきのくれ

 このやうに詠まれる方が、句に落着きが出るものと思はれる。
 その變りに、「二小節」目は『四分音符(†)』一つで一拍しかなく、後は『四分休符(ζζζ)』三つの三拍とで『四拍子』の「一小節」となつてしまふのだが、この事で理解しなければならないのは、「上七音」の『字餘り』が「一小節」になるか、「二小節」必要になるかの境目の音數であると思はれる。
 詰り、發句全體の『拍子(リズム)』の長さである『四分四拍子』の『三小節』といふ基本が、「絶對的破調」ともいふ可き「四小節」になる限界點であるといふ事である。

     三、『上句八音』の『字餘り』に就いて

 次は、「八音・七音・五音」の「二十八文字」の音調であるが、もう「上句」が「中七句」よりも多い音數なので、このやうになる。

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
      ろこゑな みをう  て      はら わたこほる よやな みだ
      櫓聲  波 を打  て        腸  氷 る 夜や  涙  芭蕉

 これは芭蕉の句で、『八分休符(γ)』一つと『八分音符(♪)』七つで「一小節」となり、『四分音符(†)』一つと『四分休符(ζ)』三つで「二小節」目となり、それを受けて、「中句」は『八分音符(♪)』六つと『四分音符(†)』一つで「三小節」目となり、「下句」は『八分音符(♪)』四つと、『四分音符(†)』・『四分休符(ζ)』が共に一つで「四小節」目となつてゐる。
 最早、「八音・七音・五音」の『字餘り』では、『四分四拍子』の「二小節」か「四小節」以外にはなりやうがない。

 しかし、この句は次にやうにすると、

   Cγ♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|ζζ|
      ろごゑ  なみを うて   はらわたこほる よやなみだ

 これは「上句六音」の『字餘り』の所で述べた「愚案ずるに」と同じ弱起の句になつて、「櫓聲」を省けば『五七五』の『十七文字』の定型になる。
 但し、この場合の「五音」は語として成立してゐなければならないのは言ふまでもないだらう。

 では、「八音・七音・五音」の句を幾つか列擧しよう。

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
      ごべう と しをへ て       しのぶ はなにを  しのぶぐさ
      御廟  年 を經 て        しのぶ は何 を  忍  草   芭蕉

 この作品は吉野で詠まれた句で、「先づ後醍醐帝の御陵を拜む」と「甲子紀行」にある。高貴な人を詠んだ爲か、和歌のやうな仕立になつてゐる。

   Cγ♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|ζζ|
      ごべう  としをへて    しのぶはなにを  しのぶぐさ

 また、かういふ風に弱起の句にもなる。

   Cγ♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|ζζ|
      ばせう  のわきして   たらひにあめを き く よかな
      芭蕉   野分 して    盥 に 雨 を 聞 く 夜かな  芭蕉

 この作品は、「茅舎ノ感」といふ詞書があつて、漢詩を蹈まへた句であるといふ事は有名であるが、しかし、この句も弱起の句で、「上句」の「芭蕉」を省く音型にすると「五音」になつて、定型の句と同じ扱ひが出來るのは既に述べた通りである。

   C♪♪|♪♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|ζζζ|
    あら  なんともなや   きのふはすぎて ふく とじる
    あら  何 ともなや   きのふは過ぎて 河  豚 汁  芭蕉

 この作品の「あら何ともなや」は謠曲からの轉用で、「河豚汁」を食べたのに今朝も生きてゐるといふ意味であり、又、「上句」の「あら」といふ語がなければ、定型の『五七五』の『十七文字』になる事は、前の句と同じである。
 以上が芭蕉の句である。

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|γ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|
      しぐ れおと なく  て       こけにむかしを   しのぶかな
      時雨  音  なく  て       苔 に 昔 を    しのぶかな  蕪村

 この作品は、「上句」が「三音・二音・三音」の八音と、「中句三音・四音」の七音でいづれも『八分休符(γ)』が冒頭にあり、「時雨」を省けば定型の句になるので、

   Cγ♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|γ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|ζζ|
      し ぐれ  おと なくて     こ けにむかしを  しのぶかな

 このやうに弱起の句になる。

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|†ζζζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
    ばいぼく せんせ い       このしたやみの  とはれがほ
    賣 卜  先 生          木の下 闇 の  訪 れ貌   蕪村

 この作品は蕪村の句で、蕪村には他にも色々な形の「破調」の句があるが、一方、一茶には生憎(あいにく)これに該當する句を、見つける事が出來なかつた。
一茶の句は、多分に「破調」の句が少ないと言へるだらう。
 「八音・七音・五音」の音調の發句は、『四分四拍子』の「二小節」若しくは「四小節」になる事が、以上で解つたと思はれる。
 また、これはあとで述べる事になるのだが、「二小節」と「四小節」といふのは、何度もいふやうに、實は同じ事を異なつた表記で表したに過ぎず、その『拍子(リズム)』内容は同じものであると言へるだらう。



四、「上句九音」の『字餘り』に就いて『2、第六章『字餘り』の『拍子』に就いて』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51796849&comm_id=4637715


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