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俳諧師:近江不忍コミュの句作に就いて

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この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の
『Motion1金管楽器・A brass instrument 曲 高秋 美樹彦』
 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は岡山懸にある、
『和氣の藤祭り』
へ出かけた時のものです。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、
ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、
ご自由にどうぞ。



  句作に就いて

 發句は『取合せ』であると芭蕉が言つた。
 さう筆者は思つてゐるが、更に言へば短詩形の要諦は、
 『言廻し』
 であると筆者は考へてゐる。

 目にしたある景物を、短い文章でどう表現するかを愉しむのが句作の醍醐味であると思つてゐる。
 從つて、山空川とか動植物や樣々な自然現象に感じ入つた上で、時には對象物と一體(いつたい)となつて句を詠むのであるが、『言廻し』ひとつで句が生きもするし死にもするので、それ程にそれは重要なものであると言へるだらう。

 けれども、幾ら『言廻し』が上手かつたとしても、そこに作者の生きた人生が盛込まれてゐなければ、その句は自然を詠んだといふだけの薄つぺらな寫生の句としかならないと筆者は考へてゐる。

 では、一體なにが必要なのかといふと、私といふ存在が、
 「人間であり、子であり兄弟であり親であり、妻や良人、男や女であり、社會的存在であり、人類であり、動植物を含めた生物である」
 といふ事を本人が氣づき、
 「人間とは何か、生きるとは何か」
 といふ哲學が作者に備はつてゐなければならず、それを身につけなければならないと感じてゐるのである。

 その深い存在するといふ事に根差した哲學的命題が詠み手になければ、どれほど『言廻し』が優れてゐたとしても一句に光は射さず、命なき木偶と化してた儘なのだと言はざるを得ない。
 曰く、
 「言ひたい事がなければ書くな、書くなら言ひたい事を見つけてから書け」
 といふのが、筆者の創作に對する姿勢であると決めてゐる。


      二〇一六年四月二十四日午前六時半 眠られぬ儘に店の二階にて記す

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