俳諧師：近江不忍コミュの(古文)　箕面吟行(みのおぎんかう）　紅葉(こうえふ)の瀧(たき)

　この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
　これは貝多芬(Beethoven・1770-1827)の、

　『悲愴(Pathetique)』第二樂章　Adagio cantabile』

　といふ曲で、YAMAHAの「QY１００」で作りました。
映像は、

『二〇一〇年の箕面の紅葉』

を撮影したものです。

　雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。

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　　　　　(古文)　箕面吟行(みのおぎんかう）　紅葉(こうえふ)の瀧(たき)

　十一月も中旬になりて、わが友、大蔵寺宏氏と共に箕面へ紅葉狩に行かんとすべく、先づはわが店にて珈琲を啜(すす)るなり。
　大蔵寺氏は以前高槻に住まひをれど、今は藤井寺(ふぢゐでら)に引越したり。
　ここに來る途次、今日の發句(ほつく)吟行に思ひを馳せ、
『芭蕉七部集』の文庫本を手にし、讀(よ)み來(きた)るなり。
　思へば、大蔵寺氏とは二十數年のつきあひにて、趣味もよく合ひ、又、わが作品の理解者でもあり。
　　　　
　　　　わが友と世にあるうちに紅葉狩(もみぢがり)

　軈て、わが妻の聲(こゑ)に雨の降りたるを知る。
　秋の雨は重ねし齡(よはひ)を敎(をし)へるが如くに降るなり。

　　　　降りだしたと言はれて氣づく秋の雨

　さて、これより自家用車にて箕面に行かん。
　車中にて大蔵寺氏の近況を問へば、相も變(かは)らず體調(たいてう)惡(わろ)しとの事など語らひて、途中氣がつけば、いつしか雨の上がりたるなり。
　間近に箕面の山も見ゆるなり。

　　　　紅葉(こうえふ)の雨止む空や旅情(たびごころ)

　　　　遠き山のよそほひ搖れて風赤し

　箕面は大坂にも稀なる山水鄕にて、猿多く、紅葉(もみぢ)の美しきこと夙(つと)に有名なれば、われも小學生の頃より幾度か來（きた）るなり。
　今、山は陽光に照らされて、輝くばかりに紅葉(こうえふ)す。

　　　　洗はれて山装(よそほ)ひし箕面かな

　自動車を阪急箕面驛前の駐車場に捨てて、愈々(いよいよ)大蔵寺氏と瀧へと向かふなり。
　驛前は名物を賣りたる店が立竝び、その舊(ふる)びたるたたずまひ懷かしく、店の兒等(こら)とも思はれし數人(すうにん)の少女が、行樂の人垣に混じりて、商店の間を縫ふやうな細き舗道にて手毬をする景色も、秋の陽射しの中に、いとけなく見ゆる。

　　　　ふるびたる風立つ龝(あき)や手毬唄

　しばし行けば、商店も疎(まば)らになりぬ。
　とある橋のたもとにふり立てば、紅葉(もみぢ)燃ゆるばかりに廣(ひろ)がりぬ。

　　　　この道は瀧に續(つづ)くや初紅葉(はつもみぢ)

　不圖(ふと)、人聲(ひとごゑ)に振返れば異國のふたり連れありて、店の人に何をか尋ねん。
　つらつら惟(おもんみ)るに、瀧までの距離を問ひしなるか。

　　　　紅葉(もみぢ)冴えて道を敎はる人のあり

　生きる事の難しきを知らんか。

　橋の上より眺むれば秋の陽射し明るく、空澄み渡りぬ。

　　　　金色(こんじき)の陽に照らされし紅葉かな

　大蔵寺氏と共に道を歩めば、道細くなりて、紅葉頭上を覆(おほ)ひ、陽を遮(さえぎ)りぬ。又、傍(かたは)らに塑像(そざう)かと見れば、二匹の猿)ありて秋に遊ぶなり。

　　　　薄暗き道に猿あり秋の聲

　そが猿の一匹、木々を飛び移り、山中へ消えしと見れば、再び現れて我等の先を行くなり。

　　　　秋の道猿が先行く箕面かな

　　　　案内を猿に乞うたる瀧の秋

　その片手に赤き葉を見つけて、大蔵寺氏と共に慕ふが如く從ひて行きしが、やがて人混みに紛れて見失ひぬ。

　　　　いざなふか猿紅葉手に奧の瀧

　茶店ともいふべき風情の建物ありて時を過ごせば、奧に寺のあるを知る。
　その名を見れば、
「瀧安寺(ろうあんじ)」とぞ云ひける。
　縁起には役小角(えんのをづぬ)の開祖とあり。
　境内は人影もなく、猿のみが數匹(すうひき)、寺を守つてゐたる許りなり。

　　　　他の猿にとり殘されし寺の秋

　その數匹の猿の群れより離れて、石段の日溜りの中に一匹の猿あり。
　その樣、哲學者か將又(はたまた)、
　「考へる人」の如くなりと云はば、大蔵寺氏、
　「老人の日向ぼこなり」と云へり。

　　　　石段に猿腰かけて秋の寺

　しばし大蔵寺氏と共にその場を去り難く、日溜りの中に三つの影を刻む。

　　　　木洩れ日や猿と過ごせば秋高し

　生きるとはなんぞや。
　われ未(いま)だ何も諒解する事能(あた)はず。

　　　　秋風やなにを悟らん猿の顏

　われ人として生きるは、わが行(おこな)ひの所爲(せゐ)にあらざるなり。況(いはん)や猿においてをや。

　　　　どれほども猿と違(たが)はぬ秋の皺(しわ)

　渓流を右に眺めつつ再び本道を歩めば、秋を樂しむ人益々多くなりぬ。

　　　　行く人の白き頭(かしら)に紅葉かな

　何びとも自らの一生を慮(おもんぱか)れども思ふに任せず、鯔(とど)のつまりはその日暮しなり。

　　　　われに似てその日暮しや龝(あき)の猿

　　　　それなりに苦勞もあるか秋の猿

　今は人の多き季節なれば、猿もその生業頗(すこぶ)る繁盛にして、與(あた)へられし食べ物を聲(こゑ)も悲しく取り合ふなり。
　その樣將(さままさ)に、
　「危急存亡の秋(とき)」と見えたり。

　　　　今や秋に菓子二つ割る猿の智慧

　この句、初めは上五句を、
　「あらそひの」としたるも、斯(か)く改めたり。
　然れども、浮世の人の見過ぎ世過ぎの苦しき樣を見るにつけても、猿の安穩に羨望を抱きしは、われの僻(ひが)みと云はん歟(か)。

　　　　生きるにはさほど困らぬ秋の猿

　とある道の隅に猿ありて、家族連れの子供、母親より菓子を貰ひて親の見守る中、その菓子を猿に與(あた)へんと恐る恐る近づきたり。
　とは云へ、猿その菓子に見向きもせず、子供の被りたる帽子を奪ひて飛廻るなり。
　母親驚きて猿を見下ろしつつ、忌々し氣に舌打ちをして、子供をあやしながらその場を立去りぬ。
　物を與(あた)へし故の主人面をすれど、猿は無頓着なり。

　　　　浮世にはそしらぬ顏や猿の秋

　道を行けば、路傍に、
　｢唐人戻岩｣といふ奇岩あり。われは渓流と紅葉(こうえふ)を眺めしに、大蔵寺氏はこの大岩(おほいは)の顛末を講釋すなり。
　抑(そも)、この大岩はその昔、唐の國使、探勝がここに來(きた)りて、道險しく、岩崩れ落ちんとする景觀に恐れを抱かせたるもので、瀧を見ずして引返せし因緣の地なり。

　　　　ふと連れの聲で見過ごす一位の實(み)

　道未(いま)だ窮(きはま)らず、瀧の淸冽な姿を腦裏(なうり)に描(ゑが)くのみなり。
　大蔵寺氏首を傾げて、瀧音ありとの言葉に耳を澄ませば、人聲に交りて幽(かす)かに聞ゆる瀧の音あり。

　　　　奧の道黄葉(もみぢ)紅葉(もみぢ)や瀧の音

　道の曲りくねるに從ひて橋を渡り、渓流を左に眺むれば、瀧の音次第に強く大きく響きけり。

　　　　瀧音も九十九折れたり秋の山

　大蔵寺氏、われもと一句詠まん。

　　　　近づいて遠のく秋の瀧の音　宏

　坂を登れば、
　「望海ヶ丘」ありて、眼下には町、遙かに大坂灣を臨む。

　　　　峠より眺むる秋の家竝(やなみ)かな

　　　　氣がつけば海からのぼる鰯雲

　坂を下れば、驛前程ではなけれど紅葉(こうえふ)の中、所々に茶店の軒數も増えて賑はひたり。又、瀧の音甚だしく響きければ、猿の聲もの欲しげなり。

　　　　瀧音に交る猿(ましら)の聲悲(こゑかな)し

　軈て眼前に瀧の落つるを見れば、中ほどに虹を架けて、一帶に紅葉頗(すこぶ)る多く、光の幻妙を覗きたる心地なり。

　　　　眼前の紅葉や瀧の音に搖れ

　近寄りて見上ぐるに、水の流れも紅葉も、高き空に巨巖の張りつきたるが如くなり。

　　　　秋空に岩張りついて瀧落つる

　　　　嬉々とした猿の聲さへ瀧に消ゆ

　瀧の音轟々(がうがう)と激しく、邊(あた)りの聲(こゑ)さへ掻き消されしほどなり。

　　　　生命(いのち)あるものとして秋や猿の聲

　　　　塵勞(ぢんらう)をまぎらす秋の瀧の風

　この地は愛想の必要なき處にて、心の疲れる事もなきなり。
　そは美しきを見れば、その儘呟くのみにて濟めばなり。

　　　　濡るるほど瀧の飛沫や初紅葉(はつもみぢ)

　瀧に近づけば、風心地よく飛沫も氣にならず、澄み渡る水に映りし己が影を見つめてゐたり。
　大蔵寺氏、再び一句をものにせん。

　　　　その昔なにを映すや水澄みぬ　　宏

　われ水に手を浸せば、

　　　　瀧壺に手をひたしをる痛みかな

　大蔵寺氏の言葉にて瀧の上に登る事となり、鐡骨造(てつこつづく)りの勾配の險しき階段を歩いて行きたり。
　登り切れば隧道(トンネル)ありて、過ぐれば、
　「千本目松」に到る。
　岩肌白く、また平地などもありて、猿以外の小動物が檻に飼はれてゐたれど、猿に比ぶれば言はんとする事甚だ不明なり。

　　　　吹く風に道を隱さん薄かな

　それらの中に幾つもの小さき淸流ありて、やがてひとつになりて、崖に向つて落ち懸かるなり。
　そこより瀧壺を見下ろせば、奈落の底に吸ひ込まれたるが如き心地すなり。

　再び茶屋にて遲(おそ)き晝食(ちうしよく)を攝れば、子連れの母猿來(きた)りて我らが宴に加はりぬ。名物の、
　「紅葉の天婦羅」を分けて食べるなり。

　　　　名物の食べるは揚げた紅葉茶屋

　と詠めど、昨今流行の宣傳文作家(コピイライタア)の作かとも思はるるなり、と云ひし大蔵寺氏の言(げん)に從ひて推敲せり。

　　　　細る身の食べるは揚げた紅葉茶屋

　我らが客の子猿の可愛らしさに、家族連れの人々の中より、子供や若き女の集まりて物を與(あた)ふるなり。
　又、猿と子供を竝ばせて、記念冩眞を撮る親もあり。
　母猿は少しも騷がず、爲(な)すが儘に任せたれば、子猿訝(いぶか)る樣(さま)もなく、美しき瞳を我に向けたり。

　　　　秋深し子猿の瞳(め)にも瀧落つる

　　　　猿の瞳(め)にも瀧輝きて秋の奧

　子連れの猿、場を辭(じ)するに、我等が見送りてその後ろ姿を見やれば、その隙にいきなり別の猿、脇に出でて、大蔵寺氏が本を盗みたり。
　本は、
　「芭蕉七部集」なれど、猿は蓑を欲しがらずに、元手もなく本を仕入れたり。
　その猿、
　「詩人なるか、實業家(じつげふか)なるか」とわれ重ねて問へば、煙草一服したる大蔵寺氏、
　「否」と答へり。
　その理由はと問へば、
　「蓑はこの地名なるが故に既に必要もなし」と、大蔵寺氏答へて煙を吐くなり。
　曰く、翁の、
　「猿蓑」に、
　『初しぐれ猿も小蓑をほしげ也　芭蕉』
　といふ句あればなり。

　　　　瀧見れば猿に盗られん文庫本

　この句、下五句を、
　「七部集」と詠まんと欲すれど、餘(あま)りに眞意が見透かされんと斯く改めたり。

　猿に本を盗まれてより、夕暮間近の白き氣配漂ひて、邊(あた)りの人影も疎らになりぬ頃、大蔵寺氏さらに云ふ。
　「本は盗まれしが、我等が過ごせし今日といふ日、思ひの中に殘らん」と。

　　　　與太(よた)猿に盗られしものは白き秋

　子供の高き聲、次第に遠くへ離れ行き、樂しき日の暮れかかりぬ。我等漫(そぞ)ろ心にて瀧を眺めたり。

　　　　瀧音や秋の遊びも暮れかけぬ

　人影は茶屋の人以外に我等のほか、さらになしかと見れば、いつしか猿さへも暮色の中に溶けるがごとく消え去りたり。

　　　　猿消えてとりのこされし秋の暮

　折角來るによつて、大蔵寺氏は、
　「附合(つけあひ)でもせんか」と切り出さん。
　早速、詠みしものを披露せば次の如くなり。

　　　夕暮の目にせまりくる瀧紅葉　　　　不忍
　　　　　　途切れし音に秋は去りつつ　　宏
　　　瀨を渡り足を拭へば目を閉ぢて
　　　　　　啜る湯呑に澤庵の味　　　　　不忍
　　　ひと聲に素振りをくれて寒の月
　　　　　　誰も咎めぬ夢なればこそ　　　宏
　　　振袖を著せたきままに年越して
　　　　　　枯木も花を身にまとひ　　　　不忍
　　　春火事にもろ肌を脱ぐめ組かな
　　　　　　櫻を見せて裁き輕やか　　　宏
　　　俎の鯉を料理の流れ板
　　　　　　温もり殘す蒲團抱き締め　　　不忍
　　　三月越し二階貸したる人いづこ
　　　　　　名乘り上げれば御曹司とかや　宏
　　　許されてわが世の春を御散財
　　　　　　驕れる人のうれしかるらん　　不忍
　　　無斷にても難色もなし花の宴
　　　　　　小言が來ても聞けぬ芳一　　　宏
　　　行く春の重たき琵琶に腰拔かし
　　　　　　明方豆腐を角で買ふなり　　　不忍
　　　召し上がれ戀はなま物おはやめに
　　　　　　蝉も螢も老いにうるさし　　　宏
　　　宵宮の祗園囃に馴染客
　　　　　　主が命と送る後朝　　　　　　不忍
　　　べろを出し惚れた晴れたも藝の内
　　　　　　口を開けたら閻魔驚く　　　　宏
　　　金次第とは云へ行けるも地獄だけ
　　　　　　笑ひ飛ばして住めば都か　　　不忍
　　　身じろぎて男が月に吠える影
　　　　　　野の虎でさへも元は詩を詠む　宏
　　　旅に寝て濡らす枕も袖の中
　　　　　　身に沁む冬の主の情　　　　　不忍
　　　因緣の昔語りに夜も更けぬ
　　　　　　漸く明けた春はやまぎは　　　宏
　　　をかしさに一歩蹈み出す野邊の花
　　　　　　日に從ひて向日葵の咲く　　　不忍

　座興に詠上げし歌仙一卷を書き留めれば、
　「そろりと歸らんか」と大蔵寺氏が云ひて腰を上げたり。

　　　　暮れかけて水にさざめくもみぢかな

　來た時と同じ道なれど、歸りし道のいと心細氣なる。

　　　　ひやひやと音をたどるや瀨の流れ

　　　　瀨に消ゆる紅葉(もみぢ）や岩)に散る黄葉(もみぢ)

　　　　道暮れて流るる椛(もみぢ)なほ赤し

　　　　せせらぎの音を背にしつ秋のくれ

　　　　晩秋の道のほとりに花白し

　　　　分かれ道どちらへ行くも秋の暮

　　　　この道も齡(よはひ)半ばや秋の暮

　ふたりの歳を思へば、昔ならば既に初老と云へり。今は有難くも、
「實年(じつねん)」といふ言葉ありて、助かりたるやうな情なきやうな心地なり。
　大蔵寺氏、
　「今日は久方ぶりに愉快なり」と出抜けに云ひて、我を驚かしぬ。

　　　　秋の猿に盗られしままで道下る

　大蔵寺氏の心殘りに振返れば、
　「あつ」と驚きの聲を發して我を促せり。彼の視線の彼方を見やれば、我も同じく、
　「あつ」と驚きて聲を上げるなり。
　そは山の頂の一本(ひともと)の樹の上に月の懸りて、一匹の猿その稍に登り、恰も我等を見送りたる樣(さま)にて、その猿月に棲みたるが如く見えたればなり。
　我が友とふたりして、暫しその場を立去り兼ねたり。

　　　　見送りの稍の猿や月に棲む

　　　　月の道なにもなきままに影細し

　道日暮れて、空にあるは月ばかりなれど、ややありて奇しくも空に鳥渡るを見る。
　我等はこれよりそれぞれの家路へと渡るのみか。

　　　　暮れ暮れて落ち行く先や渡り鳥

　　　　氣がつけば空澄み渡り鳥は消ゆ

　街に出ると、大蔵寺氏はこのまま箕面驛より電車にて歸らん事を、申し出たり。
　我、
　「しばし待て」と押し止め、街中を物色したり。

　　　　街に出(いで)れば戀しき火影(ほかげ)や秋深し

　大蔵寺氏との名殘りに、居酒屋に入りて熱き酒を呑めば、命ある事を實感(じつかん)する如く腸(はらわた)に染入るなり。

　　　　月淸くまた逢はうぞと名殘酒

　我が友はその言葉の通りに、箕面驛より電車に乘りて歸りたり。

　　　　ともに聞けなにが悲しく蚯蚓(みみず)鳴く

　我獨り夜のしじまに車を走らせれば、千里丘陵の高層住宅に幾つもの明りあれど、その燈火(ともしび)は寒々とかそけき様(さま)なり。

　　　　人は皆眠りも深き假(かり)の宿

　かくて今日といふ日も終りて店に歸るのみなれど、我は生れ出しよりこの外に過ごす術(すべ)を知らずと云へり。
　我も箕面の猿と同じ境地に到らん。

　　　　行く秋や生きてゐるから生きてゐる

　　一九八八昭和六十三申年十一月十六日

　　　　　關聯記事

(現代文)　箕面吟行(みのおぎんかう)　　紅葉(こうえふ)の瀧(たき)
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箕面(みのお)吟行(ぎんかう)』後　書
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