野村克也(84)心不全で急逝。
監督業の功績は数知れないが現役選手時代もすごい選手だった。でも巨人のO Nに隠れて正当な評価をされなかったその恨み節(月見草説)やぼやきが独特で、好き嫌いが分かれるキャラだったが、私はシンパシーを覚えていた。
訃報を聞いてつい身内の高齢夫婦のことを思い浮かべてしまった。
サッチーが亡くなって2年あまりか。2017年12月にサッチーのことを日記に書いた。
日記「理想的な最期」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964151888&owner_id=168303
憔悴して引きこもったら死んでしまうかも知れないから、サッチーが亡くなった直後からまわりはノムさんに次々テレビの仕事を依頼して落ち込む暇もないように仕向けていたが。それでも、
「仲良し夫婦は連れ合いが亡くなると3年以内にもう一方も亡くなる」というジンクスを乗り越えられなかった。
日経ビジネス編集長のインタヴュー記事(2020年1月16日)を読んだ。ほんとにこれがノムさんの最期の言葉になってしまったみたいだ。
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00350/
追悼・故野村克也氏が最後に語った「再生」と「自信」
「野村再生工場」の異名を取ったように、ノムさんは戦力外になった選手を再生することが得意だった。
発端は、南海フォークス時代に、巨人の2軍だった山内(新一氏)や松原(明夫氏)、東映(現日本ハム)の若手だった江本(孟紀氏)をトレードで獲得して、ローテーション投手にしたことから。
ヤクルトの監督時代は、ダイエー(現ソフトバンク)で2勝しか挙げていなかった田畑一也選手や広島を戦力外になった小早川毅彦選手を貴重な戦力に変えた。楽天では、無名だった土谷鉄平選手が3割バッターになり、オリックスから移籍してきた山崎武司選手は本塁打と打点の二冠王に。どうすれば選手を生き返らせることができるかはいつも考えていたという。阪神で監督をしていた時の遠山(昭治氏)は典型的なケース。
当時の巨人には松井(秀喜氏)と高橋(由伸氏)という左の強打者がいた。彼らを抑えることができれば、遠山は生き残ることができると考え指導。見事松井キラーに育て上げた。
プロ野球に入ってくる選手だからみな実力はある。ただ、何らかの理由で自信を失っている。そんな時に、1つ、2つと白星が付くことで見違えるように変わる。再生工場の本質が何かと言えば、それは
「自信の回復」。
プロ野球に入るような選手は、アマチュア時代はみんなエースで4番。でも、プロでみんながみんな4番を打てるわけではない。その時に、自分の生きる道をどう見いだすか。そこは
自分で考える必要がある。指導者の役割は、
「その手助けをすること」。
例えば、ヤクルトの宮本(慎也氏)は入団当時は典型的な守備の人で、打撃面は特に期待していなかった。それでも、2番打者として活躍できるように、バントや足の速い走者が塁に出ているときのバッティングを考えるように求めた。彼が2000本安打を達成するまでの選手になったのは、自分の役割を考え、正しい方向に努力したから。
記事を読んでいて、つくづく素晴らしい指導者だったんだなぁと思う。
彼が常々言っていたことは、
金を遺す、は下
仕事を遺す、は中
人を遺す、は上 とか。
監督業とは→ 気づかせ屋
自分の人生をささえてきたものは?→ 劣等感
先入観は悪 固定観念は罪
自分にどんな可能性があるかなんて自分でもわからないのだから。
ベテラン選手 たとえば4番HRバッターはHRしか狙わない
スタイルを変えられないことで不振となり自信もなくしている
スタイルを変えればまだまだ働ける。
(野球というもので、自分の人生を、生き方を考えよ。)
そして選手、監督、解説者として生涯野球に没頭できたのも、その他のことはすべて妻のサッチーが担ってくれたから。
高齢夫婦はお互いにストレスの対象でもあるけれど、感情を超えて支えあわないといけない存在でもあるので、その精神的支柱がいなくなったら生きる気力もなくなってしまう。特に男性は、女性より連れ合いの後を追って3年以内に亡くなる率が高い。
ノムさんも例外ではなかった・・
■野村克也さん死去 生涯捕手貫いたノムさん最後のボヤキ
(AERA dot. - 02月11日 10:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5969004
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