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2019年12月11日11:07

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人生意気に感ず「国ぐるみのドーピング。ロシアの五輪出場停止。拉致展を観る」

◇ロシアが来年の東京五輪・パラリンピックから排除されることになった。国ぐるみのドーピングは五輪の精神を踏みにじるものだ。平和の祭典は公平で公正でなければならない。精神と肉体の極限に挑戦する競技は公正であってこそ価値がある。目的のために手段を選ばぬロシアの行為は五輪の価値を否定するだけでなく五輪の下にある全世界のスポーツに泥を塗るものである。スポーツが教育の重要な一環であることを考えれば国ぐるみのドーピングは世界の教育を打ち壊すものである。真の教育は心をつくるものであり平和の基礎であることを思えば、ロシアのドーピングは世界の平和と精神の世界に対する挑戦である。
 恐らく国ぐるみのドーピングは今日に始まったことではないだろう。長いこと続いてきたに違いない。世界反ドーピング機関(WADA)の決断は非常に大きな意義があることである。データの削除や修正された箇所は少なくても数百以上というから呆れる他はない。
 ロシアは恐ろしい国というイメージがあるが国ぐるみのドーピングは正義や自由・平等といった個人の問題を無視し国家の体面を重視するもので、これが全体主義の正体かと思わせる。正に恐ろしい国なのだ。私たちはこのような隣国と付き合って生きねばならないのだ。
◇かつて、ソルジエニーツインの「収容所群島」を読んだことがある。国家に反する者、その疑いのある者がある日ふいに姿を消し、収容所に入れられる。個人の自由や幸せは木の葉のように軽く無視される。先ず国家第一なのだ。個人の自由や権利を考えない恐怖の全体主義はこの地球上に少なからず存在する。なりふり構わず核の開発を進める北朝鮮もその例である。
◇昨日、県庁で拉致被害者の写真展を観た。ある日突然袋に入れられ連れ去られた人々及びその家族の苦しみを今更のように思った。北朝鮮は航空機を爆破し公然とテロを行い他国の人間を連れ去る。正に国家ぐるみの犯罪国家である。小さなことに腹を立て大きな不正義に怒ることを忘れた日本人もさすがに拉致は許せない。しかしその怒りの感情も長い時の経過と共に薄れていく。一枚の写真を見詰めていたら報道の人に意見を求められた。「国としてなぜ救済できないのか不思議だ。拉致を絶対に許さない世論の盛り上がりが重要なのでこのような企画には意義がある」と述べた。(読者に感謝)

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