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2018年08月27日01:31

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ピリスの引退

ピリスが引退すると知ったのは何か月か前。
2年縛りの長かったガラケー卒業して、iPhoneにしたら、特典の楽天マガジン1ヶ月無料で雑誌読み放題。これで何かと読めるのだが、画面が小さいのでiPad購入。
ガラパゴス島から人間を通り越してサイボーグに進化した。
これで、StereoSound、通称ステサンが読める。
それで、許光俊氏の記事でピリス引退を扱っていて、珍しく?センチメンタルな感のあるものだった。

ピリスというと、転職前にロンドンに行き、ロイヤルアルバートホール初日が、ハイティンクとヨーロッパ室内管弦楽団、それからピリスでモーツァルトのピアノ協奏曲23番であった。
席は半月前にネットで購入したが、8000とかいう座席の残り数枚で、みる時間帯で場所が違う。キャンセルがあるのだろう。
で、この旅行中一番高いチケット代を出して、できるだけステージに近い席にしたが、それでも一般的には遠い席となった。

演奏開始が日本時間の午前3時あたりという、過酷な条件だったが、ピリスの演奏はわりとよく覚えている。
遠目にも小柄な女性で、行儀よくちょこんと挨拶して、綺麗な音で慈しむように弾いて、にこやかに慎ましく挨拶して去った、という印象。
モーツァルトを、ドラマティックとかロマンティックというより、過不足なく描くが、十分天才的にキラキラする。
クルレンツィスのように衝撃を与えはしないが、これもモーツァルトだ。

なんとなく印象が残って、帰国後、珍しくCDを買った。
アバド晩年の、モーツァルト管との20番・27番。
27番は異世界と思えるケッヘル600番台の僅か手前だが、最後の協奏曲。ジュピターと同じく、天才の「打ち止め」的清澄さだが、キャリア最終時期のアバドとピリスが、若者中心の小編成オケと繰り広げる、極めて純度の高い世界。
アルゲリッチとも20・25番を出していて、アバドの死後に出たのでこちらが有名だが、ピリスのほうが録音含めスッキリして気に入っている。
アルゲリッチは情熱の天才だが、その分うるさいともいえる。

今日きいていたのが、アバドとウィーンフィルと、1990年・1992年に録音した、26番と14番。
長らく棚にあったが、これが驚きの名演。
モーツァルト管のスッキリした音は、晩年のアバドの理想郷を思わせ、ニュートラルでよいと思ってきたが、ウィーンフィルが全開で艶っぽい高音や溌剌としたアンサンブルを聴かせると、ちょっとかなわない感じがする。
ピリスの静かで上品な感じとマッチングして、ウィーンフィルの私が知るベスト演奏に近い。録音も最高。
有名なグルダとの演奏よりずっと印象的。

アバドとウィーンフィルでは、1992年11月のマーラー「復活」が、異様に静かな雰囲気のある名演で、上記14番は1992年3月だという。
ベルリンフィルに選ばれたのが1989年末で、1990年代初めは、実質トップだったウィーンフィルとの契約の残りで共演してた感じだが、どこかで決裂して以降一度も出ていない。
1992年の二つの演奏は、退屈なこともあるアバドがウィーンフィルの美点を出し切った超名演だと思うが、別れの予感が真剣にさせたのだろうか?

少し前、N響アワーで、ピリス特集をしていて、90歳あたりと思われるブロムシュテットとのベートーヴェン4番。
ほんとうにじっくりと、穏やかな演奏が好ましい。
数年前、音楽がうるさく感じていた時、メータとアシュケナージ、ウィーンフィルの4番だけは入ってきたものだが、その演奏より静かだ。CDでほしい。
1992年10月の、ブロムシュテットとのモーツァルト17番も再放送されたが、これは若くて容姿も美しく、楽想もコロコロ変わって輝いている。

時は流れ、美しいものが当たり前でなくなり消えていく。
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