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2015年09月04日17:00

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手まり法師良寛

『読者から始めて良寛の事を知りました。

図書館で良寛の本を借りて読みました。

とても、ほのぼのとしたり、涙したりしました』と

感想メールを頂きました。

ありがたいことです。

あんなにも偉い禅僧が大きな寺の住職を蹴って、新潟の山の上の

五合庵に一人住んで過ごしていました。

毎日里に降りて来ては五合になるまで家を托鉢に回り、お年寄りにマッサージをしたり、お灸をしたり、家に取り残されているこども達と遊んで暮らしていました。

手製の弾む手鞠を
もっていたことから、

「手まり法師」と呼ばれていました。

『こうして草遊びをしたり、まりつきをする。ついてついてまたついて、時間がたつのに気がつかない。

通りがかりの人が私を見て聞く、どうしてまりなどついておいでかねと』

『私は答えられずにうつむいたままだ。
何と答えていいものやら。
まりつきの意味をお聞きになりたいと?
はい、もともとこれをこうしているだけのことですがね』と。

良寛は返答に困ってしまいました。

現代ならこれもボランティアと言えば説明できたのですが、昔はそのような社会通念がなかったからでしょう。

当時は、昼間は村人の大半は野良仕事に出ているので、子供か年寄しかいなかったから、
その相手をしていたのです。


特に子供が好きだから一緒になって夢中に遊んでいたようです。

かくれんぼしていたら、子供達は良寛だけみつけられなくて夕暮れに帰ってしまいました。

畑のあぜ道に朝まで身を隠していた良寛に、
声をかけた農夫に、

静かに!

子供達に見つかる。


と言った話しは有名です。

また良寛は「蛍」とも呼ばれていました。

良寛は酒が好きで、五合庵に立ち寄る、木こりや農夫や修行僧達と酒を酌み交わしたといいます。


村里に親戚の酒造り家があったので、そこのおかみに夕暮れになると、

裏口からサインを送って酒を貰って帰るので、『蛍』とからかわれてていました。

『草むらの蛍とならば宵よひに

黄金の水を妹(いも)たまふてよ』

私が草むらに住む蛍であるというのなら、

暗くなった宵ごとに黄金の水であるお酒を、優しいあなたよ、私にお与えくださいませ。

という意味です。

なにか自分の生き方に
似ているようです。

僕の日記タイトルは

『五合庵の蛍』

にしようかな。

托鉢して皆さんの里を回り、

お米とお酒を頂く。


代わりにマッサージとお灸、子供の世話。(小さな保育所の園長してました)
よろしくお願いいたします。

今晩も蛍になって

美味しいお酒


頂きに翔んでいきます。


合掌







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