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2022年05月27日20:24

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辞める喜び

「最近の若者はすぐ辞める」と怒る前に知るべき、「仕事が合わない」と言い出す新人の真実
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=6972427



「すぐに辞めるなんて…」と呆れる人はいるかもしれないが、辞めてダメなのか正解なのかは、状況によりけりだろう。




長男に引きこもりが多いというが、当人は厳しく育てられるものの、親が許せば、ずっと家にこもるだろう。なんだかんだいって「俺が王様」であり、俺を中心に物事は回る。少なくとも「家庭」の中では。




ただ、母親に相談することは、「息子」にとっては「第一優先」だろう。母に意見に従うばかりの無責任男って場合もあるが、ちょっとぐらいは「別に、この問題に、俺が抱える必要なくね?」ぐらいの気持ちを持つべきだろうと考える。



中間子が持ち崩しやすい原因の一つに「母からの愛情のかけ方が薄い」というのがある。何でもないところでわざと目立とうとする。反対に、ピンチの時こそ張り切る…という性質を持ちやすいが、要するに「他人と自分との線引き」が不得手なのだろう。ここまでは俺の責任、ここから先は他者の責任って境界が曖昧なので、不利な役割を押し付けられやすい。






さて、私がガンガン辞めるべきだと思うのは、ひとえに「監獄」や、その中にある「牢獄」の囚人役である。もちろん本物の、服役中の囚人ではない。阿呆に良いように使われる囚人を買ってでるなって話である。



「役」という事は、別に会社員とか学校を辞めるって話じゃなくて、要は「わざわざ演じなくて良いんだよ」という話である。奴隷、下僕、何でもいい。要するに、この俺に調子かまして、ただじゃ済むと思ってねえよな?という気持ちを持つには、その男に、「母から与えられる万能感」が必要不可欠であると考えている。


「幼児性万能感」というのは、思い通りにならないと、押し黙る傾向がある、それは、母が勝手に世話を焼いてくれるからだそうだ。



私が思うに、「母から庇護される」事は、安心感と引き換えに、成長からは遠ざかるだろう。


一方、「死ぬほどキツい体験」というのは、安心感と引き換えに、確固たる自信を、その人に与えてくれる、他者評価という形で。



もちろん両方なけれなならない。前者が母性であるならば、その者に基本的な安心感、計画を立てる、取捨選択をする、という前準備の力を与えてくれる。



これが完了した後は、父性による「責任感」や「社会的役割」が必要になってくる。



私の場合、母性がないどころか、私を侵食するので、必然「父性」の方に寄せるが、それは「取捨選択」する事が出来なくなるし、大切な事と、くそどうでもいい事を取り違える。



そしてどうやら、私の言う阿呆というのは、失礼を承知で言うが、「男の一人っ子」が圧倒的に多い。悪評は人口に膾炙しているかと思うが、最近あることに気づいた。彼らの顔の特徴として、「爬虫類っぽい」というか、「基本的に表情」がない。キョロキョロして、とにかく人の顔をじっと見ている。獲物を探しているかのように。



それに即して言えば、この者は、捕食者であり、換言すれば「看守役」になろうとしているに他ならない。「俺を中心に地球は回っている。」だが、もちろん社会に飛び込めば、そのような「増長」を許さない。なぜなら、社会には色々な立場の人がいて、そういう阿呆の増長などまず許さないし、ケンカになれば、それこそ取り返しがつかない。


もちろんですケンカのヤバさを知らないので、「自分が勝てそうな範囲で威張り散らす。反撃しなさそうな相手」を見つけるため、爬虫類の顔になっていく。裏を返せば、彼らにとって恐ろしいのは、「自分の身体に直に被害が及ぶ」場合であり、その際の逃げ足の早さは特質に値する。もちろん、他者評価などからは遠ざかるという意味で。


そして、爬虫類の顔というのは「能面の顔」とも捉える事が出来る。基本的に、人は嫉妬のスイッチが入るとき、能面のごとき無表情になる。ということは、俺が「男の一人っ子」に感じる違和感というのは、、根本的な部分で、他者に「嫉妬」している。そして私は毎度毎度、この手の阿呆に、ターゲットにされてきた。



されれる理由と言うのは、とどのつまり私が「自分と他者との境界」が曖昧であり、「自分を守る」という事をしなかったからである。




最近エナジーカウンセリングを受けてみて、私は「他者依存」がなくなっていた。それは、進んで「囚人役」のつがいである「看守役」に引っ張られるという、構図を生むことを「辞める」である。



すると看守役は成立しないだろう。私の心の「牢獄」が消え去った後、そこにあるのは、ただ牢獄という狭いところで有能ぶり、大衆の面前に晒されて、滑稽な姿をしている、哀れで惨めな「カス」そのものであった。あえて「クソ」とは言わない、クソにはまだ庇う余地がある。「クズ」とも言わない。なぜなら、クズに攻撃されて、それを由とするような「病的な囚人、依存者」では、私はないからだ。クズにつけこまれる私という図式は、もう成り立たない。


ならば、こいつは「カス」が一番しっくり来る。人間としての大事な部分が欠けている。思いやり、洞察力、リーダーシップなど、狭いところで有能ぶらせて、「地球は俺を中心に回っている」と思わせてくれる状況限定で発揮できる万能感ではなく、本当の意味で、他者からの信頼を得てきた輝きとは、一番程遠い、カス。それ以外思い付かない。



ん?そいつはその後、どうなるかって?勝手に野垂れ死ねば?俺はそいつじゃないし。


辞めるのもいいよ、ただし、出来るとこまで頑張ってもみるのもいい。







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