関ジャニ大倉忠義が活動休止、右低音障害型難聴と両側耳鳴りで「しっかり休養して戻ってきます」
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駆け抜けた人ってのは、どこかのタイミングで「休止」しなくてはならない。
芸能人とかだったら、それが「活動休止」って事で、カミングアウトできるのだろう。
ただ、一般人なら、そうはならず、鬱病による「休職」か、もしくは「引きこもり」って事になるだろう。
引きこもりってのは珍しくもなんともなく、「中高年」でも普通に引きこもる人というのは多い。
私は周りに「俺がお前やったら、普通に引きこもるわ」と言われた事がある。
そこまで行く先々でボコボコにされて立ち上がる、そのメンタルはどこから来てるの?と言われた事があった。
俺が超人みたいな言い草だったが、私自身、決して平気ではなかった。ただ、自分の中の「聖職者」と「強迫観念」が、そういう風に向かわせていただけだった。
そして何の事はない。痛みを感じる度に「感じない」フリをしていた。心のメンテナンスを、サボっていただけである。とどのつまり、私は自分を大事にしていなかった。
さらに言えば、私は「一」の力を使うのに、同じく私の「一」を発揮できる場所を「選んで」いなかった。空回りに決まっている。
件のサークルで言えば、「そんなとこを選ぶ」事自体が、そもそもあり得ない。
これに限らず、何かを選択しようとする時、「女性」に相談するのは、定石である、多くの男の場合、「母」だろう。
「母の言いなり」という男性は多いのかもしれないが、私の場合は、最低限の「自己弁護」も「自分を守る」ことさえできなかった。心の防御力をゼロにし、あらゆるクソを引き寄せてきた。
そして私は、自分の母に「心の叫び」を聞いてもらうことは、無理だろうと思っていた。誰でも得手不得手があり、こと母に関して言えば、「心に共感する、心の叫びに、ただ寄り添う」って事は出来ないだろう。だって、俺が納得していないし。
ならば、外部委託するしかない。そしてそれは、4月中に週末に毎度通った、京都の「安井金比羅宮」である。本日は、最高記録の「方代」の枚数を書いた。
ここまで、思う存分に「心の声」を吐き出したら、もう納得できるレベルであろう。そうじゃなきゃ、「自分自身」に対して失礼である。
帰宅途中、何故か「楽しかった多くの事」を思い出す。
結果論ではダメでも、「いい線」行くことがあった。
そういった「いい線」の積み重ねが、活路を拓くのだろう。
逆に「そりゃ(もめて)当然だろう、だっておれ自身、それら好きでも何でもないし」って気分だった。てか、俺を的にかけて「報復」受けんなんて、有り得ないだろう。ナメた真似しやがって、クソが。の気持ちである。
とりあえず今は「頭のこり」と、そこからくる「肩凝り」が治まったかな?
昨日から今日にかけて、相当にヤバかった。やはり、相当に溜まっていたのだろう、ゆっくりしなよ。
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