「音楽と言語は脳に共通した神経資源を共有しながら、独立した経路も持っている。
前頭葉と側頭葉では音楽と言語がごく近くで処理され、一部は重なり合っていることから、生まれたばかりの頃は音楽と言語を処理する神経回路に区別はないと考えられる。
生後まもない赤ちゃんはあらゆる知覚をひとまとめにして生命と世界を経験している。
5という数字が赤に見え、チーズはD♭の味がし、バラは三角の香りがするのかもしれない」
〜レヴィティン(脳神経科学者・音楽プロデューサー)「音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか」より
耳から入ってくる音楽と言語。
目から入ってくる光景と(象形)文字。
さらには匂覚も味覚も渾然一体となった、何の先入観にもルールにもとらわれない、「原初」の知覚。
私はできることなら赤ちゃんに戻りたい。
「バブー!!」とは、知覚の刺激に満ちた世界に対しての、「言語」でもあり「音楽」でもあるもの。
目覚めたばかりの無垢な感性が放つ、初々しくも力強く、確実に本質を捉えた驚嘆の声なのだ!
「マロックとトレヴァーセンは,母親と乳児の音声コミュニケーションにリズム性と旋律的な共創造性を見いだし,これをコミュニカティヴ・ミュージカリティの概念で説明している。ここでいう“音楽性”とは作曲家や演奏家によって産出されるいわゆる音楽のことではなく,『文化学習の人間としての希求の表れであり、他者と共感的に動き,記憶し,計画する生得的なスキルの表れ』と定義される。
乳児期における音声コミュニケーションはいずれ,言語コミュニケーションへと発達を遂げていくわけだが,その過程で,彼らはことばと歌を自由に行き来しながら生活している。
この頃の幼児にとっては,楽曲としての歌を歌うことも,音楽する行為であると同時に,モノ・コトの理解の手段であり,表現の手法の一つであり,コミュニケーションの一環であるのではないだろうか。」
〜今川恭子編「わたしたちに音楽がある理由」より
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