これまで社会人として色々な立場で様々な課題解決に取り組んできました。
その中で苦しいことはたくさんありましたが、主観的・客観的に見て人間が感じる地獄というのは多かれ少なかれ、それぞれ違っているのだと思いましたので、今回はそのことについて書いていこうと思います。
地獄というのは言い過ぎなのかもしれませんが、人間が暗い未来ばかりを想像し、疲労し、創造性を失ってもがいている状況を、ここでは地獄という言葉で表現したいと思います。
例えば、上司の理不尽な指示のもと働く一般社員の感じている地獄と、ノルマや責任に押しつぶされそうになっている中間管理職の感じている地獄は違います。
色々な事情で後のない受験生や、オーディション前の役者や、周囲の反対の中で大事な提案をプレゼンしようとしている会社員の感じている地獄もそれぞれ違います。
その時、その状況でその人が感じている地獄は同じ境遇の仲間同士であってさえ、違います。
言うなれば人間はいつも閉じた自分自身の地獄を感じているのだと思います。
(言い切った方がカッコいいですが、ちょっと宗教ちっくに見えたのでやめました)
逆に考えれば、殆どの状況において、人類共通の地獄に、みんないるわけではないのです。
だからこそ、その地獄にいない他の誰かの考え方一つで、地獄のような(精神的な)苦しみから抜け出せるということがあるのだと思います。
そう考えると、地獄とは相対的なものなのだとも考えられます。
主観的に世界を捉えると、自分が感じている地獄はあたかも絶対的なもので、不可避で、宿命的な性質を持っているように思えるかもしれません。
しかも主観的であればあるほど、その考えにこだわりたくなるものです。
しかし、戦争もなければ争いも少ない世の中であれば絶対的な地獄なんてものはめったにありません。
捉え方次第でどうにでも変えられる、相対的な地獄ばかり個人の身の回りに溢れています。
難しいことを考えて悩みすぎたときは、人と話して別の世界を見てみると良いと思う今日このごろ。
以上
【最近のGratitude】
・Walking with my wife(Photo No.1)
At July 22nd night, I walked with my wife. Before walking, I had a great deal on my mind such as our future line. During walking at night city, we talked many things without mind. What I feeling, what my patience and so on. After comeback to home, I was saved a lot.
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