何かの本で読んだことがあるけど、面接のついての内容だった。
面接官が魅力ある女性で、同じように魅力ある男性が面接に来た場合、一番高く評価するそうだ。
反対に、モテない男が面接官の場合、モテる男についての評価は厳しい。女性の場合も然り。早い話、モテる同姓に対して、モテない同姓は厳しいのだ。基本的に。蔑みは、劣等感の裏返しである。
手前味噌なのは承知だけど、僕はこのパターンに対して、すごく身に覚えがあった。女性には会釈されるし、昔僕がしんどい時も、励ましたり、評価してくれたのは、女の人だった。
男の場合って言えば、基本的に両極端だ。仲良くなるか、排除するかの二つであった。ああ、モテない女も基本同じか、女の人も、俺を排除することはあるが、社会人になってからほとんどない。
逆に男の方が、排除される確率が高くなった。何か学生時代と、俺の立ち位置が逆転している気がした。
俺とやりとりしてくれた、高校の時の友達とか、腐れ縁やけど僕を好きでいてくれる人とか、大学時代から続いてくれる友達とか、別にSNSとかで友達アピールとかしなくていいけど、そんなんじゃなくて、色々あって疎遠になったり、嫌になっても、続いてくれるメンバーがいてくれた。
おそらく俺は、多くの場所で排除される代わりに、ずっと続いてくれる人たちも出来るんだろう。狭く深く。反対に、広く浅くってのは、どうしても俺には出来なかった。学生時代では、広く浅く、顔広くってのが一番良い方法なのだが。
友達は俺とは違って、「辞める」ってことに、さほど抵抗がないようであった。「適正がない」って言われたら、「はあ、そうですか」と返すだけだろう。俺は、こういう彼らの「暗く」ならない、という所を、見習わなくてはいけない、と思っていた。
ここまで書いて思い出したんだけど、俺はある人に「職場な、自分から辞める言うたらあかんぞ、生活がかかってんねんから、えらいこっちゃ」と言われた事がある。
その人の中では、例えば俺が「雇用」って箱の中に入っていて、どんな居心地が悪くても、「出たらあかんぞ」って言ってるの同じじゃないか
雇用が大切なのは分かる。お金がかかってるんだから、えらいこっちゃ、というのも。
でも無理なものは無理だ。俺はもちろん機械ではない。雇用が守られてるのは、仕事があることは大きいことやないか、と言われても、だからって適正がないところで、俺が何を出きるというのか。
結局のところ、あの人は感謝乞食だ。自分の自己満足で、事態を更にややこしくしているのだろう。
別に俺だけが、適正どうのこうの言ってるわけではない。他の人も、俺と似たような状況で、苦労しているのかもしれない。隣の芝生は青いとか、つまりそういう事だった。
話は変わるが、こうやって文章を書いたり、友達と長電話してるうちに、眠たくなって来るのはなぜなのだろう。気持ちが軽くなって、目が冴えてるのが、バカバカしくなってくるのだろう。本質的に。
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