自分が幸せである必要はない
わたしは深く考えました
自分が幸せである必要はない
それは本来の親が子をいつくしむ姿
なんで私とは嫌いなものが許せないのだろう
日常が常に邁進し
日常が常に行進し
そうして何もかもかがわからくなっていた
そもそも幸せなどがあろうはずもない
我々は定義として幸福という枠を作ってしまっていた
例えばお金も信頼も間違ったように幸福の絵を描いている
しかしそれらはそれらではない
幸せの定義がつかない以上は
誰が本当に幸福かはわからない
わたしには満たされるものがない
それが苦しくて頭痛がとまらない
自分が幸せである必要はない
もっとまわりに気を配り
幸せを分け与えるように
振る舞いたい
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