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2018年10月14日19:46

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秋の夜長の所有欲。


シェアの思想、というか、物欲から開放されることって、すごくいいと思うのだ。

ちょっと前に書いた

「ライヴにギターを持ってこないギター/ヴォーカルのヒト(加納くんのことだ)」、みたいに

霞喰って生きてる仙人的に、ひとつ抜けた感じ。


以前一緒にバンドをやってたボケロウもそんなところがあった。

そういえば・・・ランブルフィッシュの佐治もそうだった。

両者に共通するのは、

「物にこだわらないから、何でもすぐ、失くしてしまう」ということ。


むむむ。「失くしてしまう」のは良いことではないが・・・・・・

何も所有しなければ、何も失くすこともないのだ。


っていうか「所有」って何?という話もある。


「物」であれ「者」であれ、何か(誰か)を永遠に所有することは不可能だ。

自分だって、いつかは死んで、消えてしまうのだし。


そうすると・・・「所有」と「レンタル」とどう違うの?ってことになる。

ちょっと極端だが、そうなる。


ずっと以前に、仕事でいっしょになった、とあるキザな男が言ってたのを思い出す。

彼は一時期、中古のポルシェを所有して、乗っていたそうなのだが

維持費の高さに音を上げて、何年かで手放してしまった・・・・のだそうだ。

自慢話につき合わされるのは苦痛だが、まあそれはいいとして、


あのさ、それって何年かレンタルしてたのと変わらなくないか?

クルマの所有ってもともと、そんなものなのかな。


まあいい、とにかく「所有」の概念というのは かくも儚いものなのだ。


さて、近年は「断舎利」とか言って、何でも捨ててしまうことを推奨されている。

「何でも」ってことではないのだろうけど、

この物質的に飽和しつつある現代社会では、「感動のないもの」は

片っ端から捨てていくのが利口なのかもしれない。



ギターなぞ、一本あればいいのだ。

アンプは、今やどこのハコでもきちんと用意してくれているJCで充分だ。

っていうか、あれって高性能で音がでかくて壊れない、贅沢な、いいアンプだ。

・・とか言いながら俺は

ギターは何本か所有してしまっているし、自宅には100Wのアンプも置いてある。



それらに「愛情」を抱いてしまっているからだ。

捨てられるワケがない。




でもきっと、いつか俺が死んだらそれらは全部、ゴミになるのだ。

みんなそういうこと、一度は考えたことあるだろう。


そういうのってわりと・・・・切ないよね。



俺はもう、これ以上何も「所有」などしないぞ・・・・・と思いつつ

ヤフオクのCM画像(のギター)なんかが絶えずパソコンの画面の隅に現れては、

俺の所有欲を刺激するのです。


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