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2018年02月20日22:54

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【オペラ】松風(新国立劇場)

ベースは能「松風」。現代音楽とダンスパフォーマンス。2011年ベルギーで世界初演、そして今回2018年に日本初演。
初めて見るコレオグラフィック・オペラの感想は「呆気にとられた」の一言に尽きる。好きか苦手かといった判断に至る以前に、「ああ、こういう作品もあるのか・・・」と認識するだけで精一杯だった。終演後に開催された作曲家の細川俊夫と振付家のサシャ・ヴァルツが登場する座談会を聞いて、理解が多少深まったところや疑問が解消できたところはあるが・・・違和感というか疲労感というか、何となく気持ちの収まりがつかない・・・。

「違和感」と表現するのが適切なのかどうかは分からないが、たった今はほかに言葉が思い浮かばない。でもこの違和感は作品そのものに対する「ちょっと嫌な感じ」ではなく、恐らく私が日本人であるがために感じるものだろう。日本のもの、日本的なものを無意識のうちに拾おうとすることが原因なのだと思う。アルファベットやアラビア文字のカリグラフィーを見たときは単純にそのデザイン性に見入ることができるのに、日本や中国の書を見たときは知っている字を追ってしまって妙に疲れる、というのと似ているだろうか。

能「松風」は須磨に蟄居中だった在原行平と汐汲み姉妹の松風・村雨との深交を題材にしている。百人一首でお馴染みの行平の歌「立ち別れ いなばの山の峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」は、能において重要な位置を占め、オペラにも登場する。ところがこの文字列が字幕に表示されると、気持ちが悪い。(かといって、「あなたと別れて因幡の国へ行かなければなりません。でも、その国のいなば山に生えている松のようにあなたが待っていると聞いたら、すぐにでも帰ってきましょう」と訳が表示されるのはもっと気持ちが悪い。)
ドイツ語の台本になっても名前の読み方は変わらないから、ドイツ語の歌詞のなかで「マツカゼ」「ムラサメ」「ユキヒラ」という響きが聞こえる。そのたびにぎょっとする。
音楽も、日本的なフレーズや音色にばかり気を取られる。
いろいろな時代や文化を融合させるためにはある程度の無理は仕方がないが、このような作品を受け入れられるようになるために、私はどうすればよいのだろうか・・・(^^;



作曲:細川俊夫
演出・振付:サシャ・ヴァルツ
指揮:デヴィッド・ロバート・コールマン
松風:イルゼ・エーレンス
村雨:シャルロッテ・ヘッレカント
旅の僧:グリゴリー・シュカルパ
須磨の浦人:萩原 潤
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