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2017年07月16日19:38

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鬼神の詩〜ショーソン「詩曲」

ショーソンは,近代フランスの作曲家。
ドビュッシーとは,作風は違えど,互いに信頼しあう仲であった。
ショーソンはじめ,信頼する知人に囲まれてピアノを演奏する、幸せそうなドビュッシーの肖像が残されている。
偏屈で気むずかしくて、皮肉屋で,滅多に他人の作風を誉めないドビュッシーでも,フランス音楽らしいエレガンスと叙情をたたえたショーソンの音楽のことは,高く評価していた。
実際,ショーソンの人柄も,そんなドビュッシーと仲良くできる人徳者であったらしい。

そのショーソンの代表曲が,ドビュッシーも高く評価した「詩曲〜ヴァイオリンとオーケストラのための」。
タイトルどおり,甘い哀愁と情熱に満ち,曲全体をセンチメンタルさと香り立つようなエレガンスが漂う,優雅にして叙情的,そして情熱的な名曲である。
私も,ヴァイオリニスト違い,オーケストラ違いで,何枚か持っている。
いずれも,この曲の魅力である、甘い感傷を全面的に表現した演奏だ。

ところが,今回手に入れたCDは,他の「詩曲」が聴けなくなるくらいの情熱と痛みと激しさを兼ね備えた,凄みすら感じさせる1枚。

鬼才ギドン・クレーメルの50年前,まだ20才の若き日の,空前絶後,鬼気迫るかのような演奏だ。
尋常ならざるまでの情熱と痛みと激しさの背景には,絶対の自信をもって臨んだ,世界3大タイトルのエリザベート杯国際ヴァイオリン・コンクールにて,3位入賞という不本意な結果に終わったことへの,激しい失望と落胆,不満がある。

実は,この演奏は,そのエリザベート杯受賞者によるコンサートを録音したものだ。
後日,クレーメルが述懐するところによると,決勝の演奏は「当時20歳だった自分にとって,特別に重要だったあらゆる感情と失望に根ざした,私自身のロマン的なスピリットをすべて注ぎ込んだ」と語る完璧にして迫真の出来栄え。にも拘わらず第3位という結果に終わったことは大きな「失望」であり、「私の一番表現したいことが理解されなかった、受け入れられなかった、と感じた」と。

3位入賞者として演奏したその「詩曲」は,まるで鬱憤を晴らすかのような鬼気迫る,尋常ならざるまでの集中力と熱気と凄みをはらんだ,とてつもない演奏となった。
鬼気迫る,神がかった演奏だ。

ひょっとしたら,この「詩曲」をファイナルの演目で演奏したら,第1位の栄冠を手にしたのはクレーメルではなかったか。

その後のクレーメルは,この,自らの失望,絶望,怒りそして若さ故の情熱と熱気を解放しきったかのような「詩曲」が功を奏したか(「功を奏す」って,いい言葉ですね),その後に臨んだ他の3大タイトルである,チャイコフスキー・コンクールそしてパガニーニ・コンクールではともに優勝し,2冠を制することになる。

若さというのは、時に若さ故の奇跡を生む。
「失望,絶望」あるいは「怒り」といった「負のエネルギー」すら,このような歴史に残る,神がかった名演奏に昇華し,変えてしまうことができるのだから。

後に「鬼才」と称されるクレーメルの原点が,失望と落胆の底辺から生まれた,この「詩曲」にある。

「鬼才」が「神がかり」の演奏をするのだから,これはもはや「鬼神」のなせる技だ。
この「詩曲」を聴くと,ドビュッシーと親しく,叙情とエレガンスを持った人徳者のショーソンではなく,阿修羅像のように若い鬼神のごとく仁王立ちし,凄みを効かせているクレーメルの姿が目に浮かぶのである。

クレーメルは,その後「詩曲」を改めて録音しているが,そこには,ここまでの「凄み」を感じることはできない。
今回手に入れた若き日のCD演奏には,貴重な青春の生の激しい情動が,全て記録されている。
失望も,落胆も,不満も,怒りも,そして若さ故の熱気も,情熱も全て含んだ。

かく言う私も若い頃,上司からあることを否定され立腹し,ただ立腹しているだけならバカみたいなので,それを元に自分の意見を論文にまとめ,職場の懸賞論文コンクールに応募し,佳作を頂いたことがある。

懸賞論文では,実は優秀賞の金一封を狙っていたのだが,そんな動機の不純さが,私のような凡人と,クレーメルのような偉大な芸術家・鬼才との違いなのだろうかと,そんなことをふと思った。

しかし,年をとると,「負のエネルギー」を抱え込むのが,本当にやっかいになってくる(-_-;)。

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