https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2614.html
チケット購入の際、長倉ようかいをと言ったら、さりげなく訂正された。今日まで知らなかった。
こういうのに憧れた時分もありました。ロバート・キャパとか沢田教一とか。だが、'98年のコンゴ(旧ザイール)の旅で私にはムリだと悟る。
あんなにも怖いものを私は他に知らない。マシンガンを持った兵士がうじゃうじゃ居るだけで充分怖いのに、戦争とか内戦とか実戦を経験した兵士が居る現場はもっと怖い。
人を殺すのに慣れた人間というのは、私達平時の人間とは違う次元に通り越してしまった人々だと思う。そんな人々の中で撮影するなんて!
ただ本展の中のアフガニスタン抵抗運動の指導者マスード氏の写真を観ると、別の記憶も呼び起こされた。
マシンガンを携行していても怖くない人が居たのだ。安全装置が入っていて弾丸も装填されていないのか、銃口の上に顎を乗せてくつろいでいる少年も居た。同じ兵士でも怖いのも居れば、むしろ傍に居たほうが安心出来る人も居る。人格の相違だろう。
戦場で自分の安全を少しでも得る為には情報収集能力が必要で、その為には優れた語学力が必要だ。きっと長倉さんは幾つもの現地語が分かるのだろう。
私といえばスワヒリ語もリンガラ語もろくろく分からず、生きて帰って来れたのは幸運だったに過ぎない。
私はバイクでスピードを出すが怖くない。自分のコントロール下において危険を事前に察知して減速・停止できる充分な時間・距離がある事を確認出来れば怖くない。だが、それらの状況判断をミスり死ぬかも知れない事は否定出来ない。
これらの人々もきっとそうなのだろう。情報収集能力の高さで今自分がいる場所は安全だ。近くに信頼出来る兵士も居る。だが、判断をミスる事もある。後藤健二さんみたいに。
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