演説の続きです。
「このたびの地震で、東灘区では1500人もの方が亡
くなられました。ごっつい数です。
皆さんもご家族やら、親類やら、友達やら、沢山の涙を
流されたことでしょう。
私も小学生を亡くされたお母様やら、ご主人を亡くされ
た奥様やら、幾度抱き合って泣いたことでしょう。
人は、いつか死にます。亡くなります。
私は4歳にの時に、いつも遊んでいた「アビチ」という
少女を栄養失調で亡くしました。
11歳の時に「まさお」という親友を、夏休みにしょう
紅熱という伝染病で、あっという間に亡くしました。
18歳の時に、母を白血病で、21歳の時に父をがんで
亡くしました。
特に印象深いのは「まさお」です。
私は、忠文という名前なので、みんなは「文」をとって
「ぶんちん」と呼んでくれておりました。
野球の得意だった私が難しい外野フライを捕ると、まさ
お君は、「さすがぶんちん様」と笑ってくれました。
その笑顔が、消えてしまうのでした。
ですが、今も「まさお」の笑顔は、私と共にあるのです。
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