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2016年04月27日18:07

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ファンダンゴと私

ファンダンゴと出会ったのは1988年だった。

俺たちはランブルフィッシュというロックバンドを組んでいて、

その年は失意のどん底にいた。

何があったか?というのは以前に言ったから繰り返さないが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

酒ばかり飲んでいた。今でもそうだって?そりゃそうだけど、「飲み方」が違ってた。

「自暴自棄飲み」という友達にはオススメしたくない飲み方だ。

あの頃の「自暴自棄飲み」のおかげで、今でも俺は胃がマトモではない。それはともかく。


”十三にファンダンゴというライヴハウスがオープンして一年ほど経つ。経営者も太っ腹だし、スタッフも面白い。

今はリングリングサーカスの不良外人とかが溜まっていてガラ悪いが、ちょっと面白いハコだ。”


そう教えてくれたのは、俺たちが吹き溜まるようにして通っていた日本橋の裏通りの

ブルース・バーのマスターだった。

一度、出てみるか?と出演した1988年11月。

そこからランブルフィッシュとファンダンゴの「蜜月」とも言える日々が始まる。

毎月毎月、大宴会のような観客とバンド。常に2,3人が飲みすぎでぶっ倒れていた。

店長のムーちゃんはいつも大歓迎で踊り狂ってくれたし、

ブッキングマネージャーだったキョーコちゃんがマネージャーみたいに

ランブルフィッシュの面倒を色々と見てくれた。東京ツアーとかいっつも一緒に来てくれた。

まだファンダンゴの新人だったツルちゃんはランブルの九州ツアーに同行してくれた。

そしてあのライヴCD。

ランブルはメジャーから誘いがあって、俺の知らないところで話し合いが持たれていた(俺は興味なかったので関わらなかった)

のだが、

最終的に佐治は「ファンダンゴレーベル」からCDをリリースする、ということに決めた。

結果・・・・いいものが記録できた、と思っている。


しかしバンドとは難しいもので、

ファンダンゴレーベルからの第一弾アルバム

「RUMBLE FISH LIVE AT FANDANGO  1990・12・14」

がリリースされた直後、ランブルフィッシュは解散した。


解散のタイミングで、ファンダンゴには迷惑を掛けたと思う。ごめん。

でもそのことで何も言わないのは・・・・・優しいよな。どうもありがとう。



そして


ばるぼら。

ばるぼら でのファンダンゴの思い出も溢れるほどたくさんあるが・・・・・・。今はまだ振り返らずにおく。


そして、再結成ランブルフィッシュ。末期がんを抱えた佐治との最後のステージも

ファンダンゴだった。2007年6月3日だったよね。


あの頃と変わらずにファンダンゴが十三の、同じ場所にあって、ガンガンに営業し続けてて、

ツルちゃんがちゃんといて。

それだけですごい事だ。


ランブルフィッシュはもうないし佐治も逝ってしまった。

 ばるぼら も、もうない。

だが

アタシこと片山道郎は、今でもギターを弾いていて、バンドをやってる。新曲だって作ってる。

ライヴだってやってる。


2016年、4月30日 土曜日。

久し振りにファンダンゴに出演します。

「追憶のファンダンゴ」というタイトルで、

かつてファンダンゴを賑わせたバンドの連中を集めたイベント・・みたいだ。


俺は勿論、自身のバンド ROCA’66 のヴォーカル/ギターとして出演する。

ROCA’66はこの日だけ、「ベースレス」の3人編成だ。

すなわち、俺、ギターの赤井、ドラムスのトビー。



間に合わせのベースレスではない。

ガンガンに荒っぽく、それでいて繊細に演奏するベースレスだ。

俺の「新しい仲間」とのバンド、ROCA’66。



競演は、


「正垣祐樹」


「ローリングサンボ」


「桜川春子ASレミーマルタン」


「THE FAMILY TONE」



18時オープン、18:30スタート。


我々の出番は真ん中くらい・・・・だから、全バンド見て欲しいよ。








「追憶のファンダンゴ」っていいタイトルだ。

確かに・・・あの頃が懐かしくない、と言えば嘘になる。

だが我々は過去にのみ、生きているわけではない。

「今」は、「今」しかないから、全力で「今」を生きる。






それでいいのだ。






久し振りに、ファンダンゴで会おう。



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